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「席替え」


  席替えの日は憂鬱だった。
  学生にとって席替えは一大イベントであり、好きなあの子の隣になりたいとか、前から二列目までの席には絶対なりたくないとか、様々な感情が渦巻いているのだが、皆それを悟られまいと振る舞い教室は異様な静寂に包まれる。中には自分が望む席に座る為に不正を働き、学級委員長を懐柔する者まで現れるのだ。

 もちろん僕だって好きな子の隣に座りたかったし、居眠りしていても見つかりにくい席が良かったけれど、それよりも隣になったクラスメイトとまた新たな関係性を築かなければいけないのがしんどかった。
 子供の頃の僕はかなり極端な性格で、クラスメートといえど喋ったことのない子の隣になると緊張してしまい、ホームルームで机をくっつけ四人で班を作った時など一言も発せられないまま終わることがあった。
  席替えするまでは、ホームルームの議題と全く関係ないことを喋り続け何度も先生に注意されていたのに、席が替わった瞬間に一言も喋らなくなるのだから、周りの生徒は「なんか今日怒ってるんかな?」と気を使うし、先生からは「どうしたんや、体調悪いんか?」と本気で心配されたりしていた。
  僕とよく授業中に喋っていた奴は、席が替わっても相変わらず先生に静かにしろと怒られていて、そんな光景を見る度にやっぱりあれが普通やんなと思っていた。

  中一の時、席替えで隣になった女の子と喋れないまま調理実習の授業に突入したっことがある。最初の調理行程を説明され実習がスタートすると、他の班はわいわい楽しそうにやっているのに、僕の班だけ静かにジャガイモなど野菜の受け渡しすらほぼ無言の状態で行っていた。僕は鍋で固形のコンソメを溶かす作業を与えられたが、料理の経験など無かったので鍋に水を入れコンロに乗せた後、火もつけずに鍋にコンソメを投入した。
  すると突然「駄目だよ、普通お湯を沸かした後やから!」と隣の席の女の子に笑いながら注意された。
 「そうなんや」と僕が言うと、その子は「当たり前やん」とまた笑った。そこから迷惑をかけないよう行程ごとにどうしたらいいか聞くと、いつも静かだったその子はテキパキと指示を出してくれて、いつのまにか班全体のまとめ役になっていた。
  その姿は生き生きとしていて、きっと料理が好きで普段からお母さんの手伝いとかしているんだろうなぁと思った。

  不器用な僕は上手くなじむキッカケを掴んだ気がして、そこから役割を与えられる度に積極的に失敗をしにいった。
  パスタを渡されてもまだ沸騰してない水にぶちまけ、ジャガイモの皮もわざと少し残ってる状態で「出来た!」と言って渡した。その度に「全然だめやんか」と笑ってくれて、僕はほっとしていた。
  それから僕はその子の前でいつも少しそそっかしいクラスメイトでいるようになり、そうやって道化を演じている方が楽だった。

  二年になって僕らはクラスが別々になったのだが、その子と仲が良かった友達と同じクラスになり、実はその子が僕のことを好きだったのだと聞かされた。
  僕はとても苦しい気持ちになった。それはその気持ちに答えられないということにではなく、その子の前で道化を演じ続け、全力で向き合ってこなかった後ろめたさだった。
  全力で向き合っていた相手に対して、自分はとても失礼だったのではないかと思った。自分を演じることが悪いわけ訳ではない。むしろ演じていない人間などいないのかもしれない。ただ、それが誰かと向き合う為の手段ではなく、向き合うことから逃げる為の手段であってはならないのだ。

  休み時間に廊下を歩いていると声をかけられ、振り返るとその子がクラスメイトと立っていた。「久しぶりやな」と言われた僕は、挙動不審になって思わずお辞儀をしてしまった。
  その子は「えっクラス別々になったらそんなよそよそしくなんの?」と言って、今までと変わらず笑ってくれた。
「久しぶりに見たら緊張してもうた」と僕が言うと「相変わらず変やなぁ」とまた笑った。
  上手く道化を演じていたつもりだったけど、結局まわりから見れば普通にしていても僕は変な奴なのだ。
  だったら不器用でたどたどしいまま、いつかはみんなに追いつけるようにすればいい。そう生きていこうと思う、最初のきっかけになったような出会いだった。



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