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ショートショート 「能力者」



 エライジャ・クレイグのロックを注文してから腕時計を見ると、もう22時を過ぎていた。今日は朝から仕事で色んな人間の話を聞いてる。違う人間から同じような内容の話を聞き、似たような質問を繰り返すだけのくだらない作業。
 俺は後頭部に鈍い痛みを感じながら、ここで何杯か酒を飲んで頭をほぐせばそのまま帰ってぐっすり眠れそうな気がしていた。

 ウィスキーを一口飲んだところで店のドアが開き、スーツを着た中年の男が入って来る。男は常連らしくマスターと挨拶を交わすと、俺の二つ隣のカウンターの椅子に腰掛けた。男のニタニタとした表情を見ている時から嫌な予感はしていたが、2杯目のビールを流し込んだところで、男は辺りを少し伺うようにしながら俺に話しかけてきた。

「なぁ、ちょっといいかい?」

「….何でしょうか?」

「ちょっと火貸して欲しいんだ、あんたのパンツの右ポケットにあるライターの」

「いや煙草は吸わないんで」

 そう答えた直後、右太ももの辺りに違和感を覚えた。パンツのポケットに手を入れると中からこの店の名前が書かれた黒いライターが出てきた。

「何だよやっぱり持ってんじゃねーかよ、ありがとな」

 俺の手にあるライターを奪って煙草に火をつけると、男は椅子の背もたれに体を預け満足そうに煙を吐いた。

「どうしてあんたがライターを持っていたことを分かったか不思議じゃないか?」

 ライターを手に持った腕をこちらに伸ばしながら、また男が話しかけてくる。

「まぁ、多少は気になりますけど」

 俺がそう答えるとを分かっていたかのように、男は素早く俺の隣に移動して顔を近づけた。

「俺は少し特殊な能力を持っていてな。俺があんたのポケットにこの店のライターを移動させたんだよ」

 よく分からないという表情を見せると、男は嬉しそうにまた続きを語り始める。

「つまり、俺はある空間内で物体を瞬間的に違う場所へ移動させることが出来るんだよ。あんた実際ライターなんか持ってなかったろ」

「まぁ持ってはなかったですけど、それだけでは信じられないというか。例えば超一流のマジシャンとかなら同じようなことが出来るんじゃないですかね?」

「確かにそうだ。だったらあんたの指定するこの店の何かを、今ここで移動させてやってもいいぜ」

 男は両手をだらんと広げ、挑発の笑みを浮かべた。

「じゃあ、今このカウンターの向こう側に立っているマスターをこちら側に移動せてみて下さい」

「そいつは駄目だ。俺のこの能力には限界があってな、あまり大きい物や、俺が成功をイメージ出来ないようなものは移動できない。まぁそれもトレーニング次第でこれからどうにかなっていくんだろうが」

「そうなんですね…、じゃあ今僕が持ってるグラスをあなたの左手に移動させることは出来ますか?」

 右手に持ったグラスの重みが消えたかと思うと、一瞬で男の左手にそれは移動していた。

「どうだい?このシチュエーションは手品じゃ無理だろ」

 俺は両手で降参のポーズを取り、男は満足してビールを二杯頼んで乾杯を促した。

「でも、一体どうやってその能力を手に入れたんですか?」

 再び疼きはじめた後頭部の痛みに耐えながら聞くと、男は少し驚いた顔をした。

「この能力が手に入れたものだってよく分かったな」

「そりゃ分かりますよ、それが生まれ持ったギフトなら、今さら見ず知らずの人間に嬉しそうに披露なんかしないでしょ。それにトレーニング次第で能力は向上すると言っていたし、きっとあなたよりも知識があり能力を与えた存在がいるんでしょう」

「つい2ヶ月前だ、俺はある企業にヘッドハンティングされた。それなりにデカい会社に勤めてはいたが、俺はなんとなく仕事をしてそこそこの報酬を得ればそれでいいと思うような人間さ、そんな人俺を引き抜くってんだから変な企業だと思ったよ。
 だが向こうにとっちゃそれこそが理想な条件だったみたいでな。仕事の出来る人間てのはその能力を全てそこに注ぎ込んでいる。仕事を成功させるための決断や選択、そして人との出会いなんかで、知らず知らずのうちに第六感を働かせてるんだよ。それはもう完成された状態であって変化のしようがない。
 俺みたいに自身の能力の上っ面だけで器用にやってるような人間の方が、潜在能力を引き出しやすいって話さ」

「それはどうやって引き出すんですか?」

「まぁこの会社…いや、組織と言った方が近いか、そこには俺みたいな奴らが集められていてな、中には相手の頭に触れるだけで能力を引き出すことのできる人間がいるのさ。色々と研究室みたいな場所があったから、最初は脳をいじったり実験的なこともしてたみたいだけどな」

「能力者を集めて組織は何をするつもりなんでしょう」

「さあな、それはまだ俺も詳しく知らないが、そりゃモラルからは外れたことだってことくらいは分かってるよ。ただどんなことだろうが秘密裏に能力だけを使ってやってれば、足がつくことも与えられる罰もない」

「それが本当だとして、どうして僕にそんなことを話すんですか?」

「少し前の自分を見てるようだからさ。能力はあるが冷めた目をしている、金を稼ごうか、地位を得ようが、すでにこの世界に期待をしていなけりゃ関係ないって感じのな。騙されたと思って、あんたもここに一度電話をしてみればいい」

名刺のようなカードに電話番号だけが書かれたものを男は俺に手渡した。

「さっき俺が喋ったことは忘れてくれ、本当はこんなに詳しく話しちゃいけない決まりなんだ。ただ、何だか頭が軽くなって自由になった気分だったんでな」

 店を出ると夜は一層重たく静かだった。
 先ほどもらったカードをポケットから取り出し、携帯に数字を打ち込む。後頭部の痛みはずっと続いている。

「…もしもし…俺だよ」

「あっ、佐伯さんですか、お疲れ様です。珍しいですねこっちに電話なんて」

「今日最後のバーの男、あれは駄目だ。店に入って10分も経たない間にべらべらと喋り始めた。やはり能力の解放と脳の覚醒には何らかの因果関係がありそうだな」

「分かりました、それではNo.2102は処分するよう手配しておきます」

「あぁ、能力的には特に厄介な作業にはならないと思う。残りは明日の朝に報告を上げるよ」

 電話を切っても後頭部の痛みは続いている。こんな時は決まっていつも雨が降ると思いながらタクシーを止めた。
 車が走り出してすぐに雨音がタクシーの窓を弱く叩きはじめた。俺はそのくだらなさに思わず笑ってから、ゆっくりと目を閉じた。



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