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「ライアーゲーム」


 駅前でアンケート用紙を持ったおばちゃんに声をかけられたことがある。

「すいません、七〜八分で終わるアンケートなんですけどご協力お願いします〜」

 「…ちょっと長ないか?」というのが正直な印象であった。

 駅前で、しかも改札に向かって歩いている時点でほとんどが今から電車に乗ろうとする人間である。
 正直七〜八分も時間を取られてしまったら、確実に電車を一本遅らせる事態に陥ってしまう。
 特に急いでなければ大した時間じゃないのかもしれないが、普段から「二〜三分で終わるアンケートなんですけど〜」のパターンに慣れてしまっているせいで、突然に倍以上の時間を提示されるとどうしても長く感じてしまった。
 お湯を注いでから九分も待たなければいけないカップラーメンを、事前情報なく購入しようとは思わない。

「えっ、じゃあ二〜三分なら協力してくれるんですか?」と聞かれたら多分断っていたし、「いや何なんすか?ほんならもうほっといて下さいよ!」と言われれば、「そもそもお前が声かけて来たんじゃボケっ!」と声を荒げて結局交渉は決裂していただろうが、逆にそこまで関心のないことに対して僕は相当の引っ掛かりを感じていた。
 電車に乗ってからも、「七〜八分のアンケートです〜」て言われて協力する人っておるんかなぁ?と少しおばちゃんが心配になったりもした。
 もしかしてあまり僕が協力したことのないだけで、二〜三分と謳ったアンケートも実際に協力してみたら十分くらい時間を取られるのかもしれない。
 二〜三分て言うのはあくまでも悩むことや迷うことがなく、機械的に最短で答えた時間を提示しているに過ぎないのだろう。

 そう考えると、もしかして八分という時間を提示したおばちゃんの方が仕事に対しても協力する側に対しても誠実であり、「嘘をついてアンケートに答えさせてる時点でそのアンケート用紙にもはや何の価値もない!」という信念すらもふんわりと漂ってくる。
 しかし、社会はその誠実さを評価することはなく、アンケート時間を偽る者を批判もしてくれない。むしろその偽り者達を見習って結果を出せと叱責されるかもしれない。
 事実そのやり方が犯罪でも違法と見なされる訳でもないのであれば、そちらの方が賢い生き方なのは確かである。
「いや、それでもそのやり方は絶対に間違ってます!アンケート時間を偽ることは絶対に出来ません!」と信念を掲げたおばちゃんは言うかもしれない。
 
おばちゃんが屈することなく自分のやり方を通すのであれば、そのやり方で偽り者たちに勝たなければならない。
 もしかするとこの世界では「偽り者」と言う表現が、すでに間違っているのかもしれない。
 おばちゃんが勝って、初めてその者達を「偽り者」と呼べるのだ。
 途方もなく馬鹿なやり方ではあるが、革命なんて結局はその積み重ねの先にあるのだから。
 と、また勝手な妄想が膨らみ、電車が目的地に着くまでに僕はずっとそんなことを考えていた。

 もし今の僕の前に、あのおばちゃんがアンケート用紙を挟んだバインダーを持って現れたとしたら……….いや、それでもやっぱり七〜八分のアンケートには答えられない。
 そもそもおばちゃんからすれば、「昼間に時間余ってるので小遣い稼ぎのアルバイトです」というだけかもしれないし、アンケートだって八分と言っておいて実際に答えたら十五分かかる可能性だってある。



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