ショートショート「新世界」
男はゾンビ映画が好きだった。30歳を過ぎて世界が反転したような生活を続ける中で、死人が生きた人間のはらわたを貪るようにあらゆるゾンビ映画を見尽くした。
そんな男がゾンビ映画に感じていたのは、スプラッター映画特有のスリルや恐怖ではなく、得も言えぬ心地よさだった。
ゾンビが闊歩する世界は、他のスプラッター映画のように現実と乖離しすぎていない。
男の生活の延長上にあるような世界であり、襲ってくるゾンビも最悪な存在ではなかった。
動きが鈍く、知能も低い。頭部を破壊すれば倒すことだって出来る。この神経を研ぎ澄ませれば何とかやって行けそうという環境が、男を映画の世界へ没入させていく。
「自分ならまずここに隠れよう、ここならしばらくは食料に困らなさそうだ、この方法なら安全にゾンビを駆逐できるな・・」男は日々そんなくだらない妄想に耽っては、夜中に独りで薄笑いを浮かべていた。
そして、男は次第に夢を馳せるようになる。
今こうして自分が生きている世界より、この世界の方がマシなんじゃないか、ここなら全てが無かったことに出来るんじゃないか。
自分が抱える苦悩も後悔も劣等感も、その全てが浄化され、金持ちも貧乏人も天才も凡人も狂人もなく、全てが横一線で仕切り直された世界で、今度こそスタートダッシュをかけて自分が一等賞を穫れるのではないのかと。
男はそんなやって来るはずのない日々に備え、あらゆる準備を進めていく。
まず安全の確保を考え、周りをコンクリートの塀で隙間無く囲まれたオートロックのマンションに引っ越し、部屋も二階にこだわった。
一階では塀を突破したゾンビの進入防ぐことが出来きない、しかし二階以上になると部屋から緊急脱出する際に、窓から飛び降りて足などを骨折してしまう可能性が浮上する。
部屋には数ヶ月分の水や保存のきく食料を備蓄していたが、底をついた場合も想定しマンションの隣に大型のスーパーがある立地を選ぶ念の入れようだった。
さらには、ゾンビに襲われないための自作の指南書まで作成していた。
『ゾンビに襲われない為に気をつけたい10のこと』
① 倒れてるゾンビの横を通らない
② 大きめのクローゼットは開けない
③ 噛まれることを恐れるあまり剣道の防具を身
につけない(このキャラが最後まで生き残っ
たためしがない)
④ 後ろ歩きしながら仲間と喋らない
⑤ どんなに気分がよくても夜中に焚き火を囲
んで瓶ビールを飲みながら腰をくねくねさせ
ない
⑥ 一旦はぐれた仲間を見つけても安易に後ろか
ら近づいて声をかけない(ゆらゆらしてる場
合は諦める)
⑦「俺が先に行く!よし、大丈夫だ!」と手を
差し伸べられても、必ず床は抜け落けちる
(下には大量のゾンビがいる)
⑧ 大事な話があると打ち明けられたら出かける
前に必ず聞いておく(帰ったら聞くは絶対に
NG)
⑨「さぁ後はこの川を泳いで渡るだけだ!」と
言われても渡らない(目的地を変更)
⑩ 異常に汗をかき震える仲間の「ちょっと疲れ
てるだけさ、少し眠れば回復するから心配は
いらないよ」は信用しない
そして悪夢は現実になる。いや男にとっては奇跡と呼ぶべきだろうか。
どこかの研究所から生物兵器ウィルスが流出するというバイオハザードが発生したのだ。
それは人をゾンビに変貌させてしまう悪魔のウィルスであり、ゾンビに変貌した人間に噛まれるとその人間もゾンビに変えてしまう。研究員からその家族へ、家族からその友人へ、瞬く間に世界はゾンビで埋め尽くされ、パニックに陥った人類はその統制をあっさりと失っていった。
男は震えた。世界が狂ったからではない、ようやく正しい世界が訪れたのだと歓喜が込み上げたのだ。
部屋の外からは人々の飛び交う悲鳴が聞こえてくる。
「落ち着け、見た目に惑わされるな!そいつらは鈍足だ!」
男は窓を開け大声で叫び二階の窓からマンションの塀に飛び移ると、さらには道路に飛び降り、事前に用意していた先の尖った長めの鉄パイプを次々とゾンビ達の脳天に突き刺していった。
「冷静に対処すれば、こいつらは群じゃない限り恐るるに足らない」
血の付いた鉄パイプの先端を拭きながら男が言うと、その場にいた数人の男女は落ち着きを取り戻した。
「あぁ・・我らを導き光の王・・」そこにいた一人の老婆が口にしたことを発端に、その場にいた全員が光の王と男を崇めはじめる。
助けを乞う人々を部屋に招き入れ、食料と水そして自作の指南書を男はそれぞれに手渡した。
しかし備蓄していた食糧はやがて底を尽き、男が一人で暮らす部屋での10名ほどの共同生活は限界を迎える。
落胆の表情を仲間達が浮かべるなか、何故か男の目は生気に満ちていた。
男にとっては今まで部屋にいた時間などお遊びに過ぎない。自らが求め自分を必要とするこの世界に飛び出すことで、初めて男は生きる実感を得ることが出来るのだ。
男は武器を手に仲間を鼓舞した。
ここでじっとしていても朽ちていくだけだ、安住の地を求め我々は前に進まなければならないと。
部屋を出た一行は、男の指南書を頼りに様々な困難を乗り越えた。男は偉そうに振る舞うこともなく仲間を命懸けで助けた。そして旅を続ける中で、男は仲間の女性と恋に落ちた。こんな世界でなかったら、自分がこんな綺麗な女性と恋をすることなど無かっただろうと思った。
この世界も、この世界で出会った恋人も全力で愛し続けると男は誓った。
それはとても心地のいい夜だった。風は清々しく、月は優しく男達のキャンプを照らしている。
昼間に探索したスーパーマーケットで男達は大量の食料と水、そしてとっておきのビールまで手に入れ上機嫌になっていた。
川の水で冷やされたビールの味は格別で、皆ひとときの安らぎに浸っていた。
ゆらゆらと揺れる焚き火の炎を眺めながら、誰かが故郷の歌を口ずさむ。その歌は皆の心に染み入りゆっくりと時間が流れる。そして仲間の一人がおもむろに立ち上がり、瓶ビール片手に腰をくねらせ踊り始めた。
男も酔いが回り気が緩んでいたのだろう、突如として暗闇の中から現れたゾンビの存在に気付かず、腰をくねくねさせて踊っていた仲間は無残にも首筋を噛み千切られた。いつの間にかゾンビの群が、キャンプに近づいていたのだ。
男は恋人の手を取り立ち上がる。しかし辺りはゾンビの群に囲まれ逃げ場所がなく、このままでは仲間が全滅してしまう。男は深呼吸して恋人の目をしっかりと見据えた。
「俺が今から囮になって、ゾンビ共をおびき寄せる。その隙に君が仲間を連れて逃げてくれ」
「そんなの嫌よ!私も一緒にあなた行く!」
恋人は涙を堪え、覚悟の表情を浮かべている。
「俺は大丈夫だ、それに君が一緒だと上手くあいつらを誘導できない」
「でも・・」
「俺を信じてくれ!俺は必ず君の元へ帰ってくる!そして帰って来たら・・・俺と結婚して欲しい」
汚れたデニムから男は指輪を取り出した。
それは工場を探索した時に拾ったナットを男が自ら削って加工し、ヤスリで綺麗に磨き上げた愛の結晶だった。
恋人の瞳からは涙が溢れ、二人は力の限り互いを抱きしめ合った。
そして男は襲いかかるゾンビをもろともせず、素早く、力強く、仲間からゾンビを引き離して進んだ。
その後男の指南書には、恋人の手によって新たな項目が付け加えられた。
⑪ ゾンビから逃げてる最中「無事に戻ったら
結婚しよう」とプロポーズしてはいけない
(絶対に無事に戻れない)
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