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“終わり”が始まる日。スタートの音。

長いようで短かった、“終わり”に向かって走る日々。

アクセサリー屋の販売員で店長だった私が、“元”アクセサリー屋の販売員で店長になるまでの日々です。

新型コロナウィルスの影響もあり、閉店するお店、終了するブランドも多い中、実際にどんな気持ちで閉店を迎え、次に進むに至ったか。心境や支えてくれたヒトなど、忘れないうちにここに残したいと思います。



2020年3月某日。新型コロナウィルスの脅威がゆっくりと、しかし確実に迫る中、私たち関東圏で勤務するC社社員は、都内の某大会議室に集められていました。

その1ヶ月ほど前から、「この日は来季に向けた大事な会議なので、コロナも心配ですが、可能な限り全員出席するように。」と、それはもう強く言われていました。

通常の会議でここまで強く言われることも無いため、来季に向けてよほど力が入っているのだろうと、皆どことなくそわそわした雰囲気の中、当日を迎えました。

迎えた当日。私は、この日のために買っておいた黒いワンピースに水玉柄のジャケットを羽織り、親会社の面々も来ると聞く、“よほどの”会議に向けて、緊張して家を出ました。

感染対策万全の会議室に着き、仲の良い同僚、大好きな上司を次々と見つけ、久々の再会と非日常な空気に、少しワクワクしながら席に着いたのをよく覚えています。

これから何が話されるんだろう、そんなそわそわした空気の中、遠方で同じく一箇所に集められた社員とのオンライン接続の調子が確認され、遂に、会議が始まりました。

社長の挨拶が終わり、次に耳に入ってきたのは、こんな言葉でした。






「私たちC社は、2020年10月31日をもって、日本国内での全ての事業を終了します。」








面白いくらいの沈黙でした。

“シーン”という、あの往年の効果音があれほど似合う場も、なかなか無いはずです。

誰も、何も、一言も発さない。

鼻をすする音も、咳払いの音もしない。

いや、もしかしたら、音はしていたのかもしれません。

ただ、私にも、おそらく隣に座る同僚にも、その部屋にいるほとんどの人に、それは聞こえていなかったのだと思います。

とてもとても長いようで、実際は多分一瞬だった沈黙の後、社長の次の言葉が聞こえてきました。

それは、時に声を詰まらせながら、このような結末を迎えざるを得なかったことに対する、私たち社員への謝罪でした。

その後、壇上にはまた別の人が現れ、事業終了に向けての流れ、その後の社員への対応、退職や転職についてなど、事務的な事項が次々と説明されました。

私はと言えば、社長の言葉に呆然とした後、静かに流れ出る涙を拭くこともできず、隣に座る気心の知れた同僚の方を向くこともできず、地蔵のように固まって、ただ聞いていました。

そして、しばらくして我に帰り、目だけで会場を見回していると、突如として猛烈な尿意に襲われました。

2時間近く出られないからね!トイレに行っておくんだよ!とあれだけ事前にしつこくアナウンスされ、実際に開始数分前にトイレに行って、万全で着席したにも関わらず、です。

そして同時に、猛烈な尿意と同じくらい強く、ある考えが頭に浮かびました。

“ここが無くなるなら、退職して、自力で転職先を探そう”

そう思ったのです。いや、単純に“思った”と言うより、それはもう決意に近いものでした。

実は、私の勤務するC社には割と大きな親会社とそのグループ会社が多数あり、退職後の社員で希望する人は、そちらの会社に転籍できることになっていました。

社長の後に出てきた人たちは、その説明をしていたのです。

でも私は、社長の説明が終わってすぐ、猛烈な尿意と、“転籍は絶対に選ばない”という強い決意に心を支配されたため、全くと言って良いほどその中身を聞いていませんでした。

事務的な説明が終わるまでの約1時間半ほど“転籍もしないし、自力で転職先を探すから、一刻も早く解放してトイレに行かせて欲しい”と、ただそれだけを願っていました。

そして、尿意と戦う1時間半がようやく終わり、“やっとトイレに行ける”と思ったのも束の間、私たちに次の試練が言い渡されました。

「今から、ここにいる店長たちは自身が抱える店舗スタッフ全員に直接電話して、事業終了を告げてください。タイムリミットは、プレスリリースが出る16時です。」

それを合図に私たちには、それぞれが抱えるスタッフ全員の名前が印刷された名簿が渡されました。

名簿の紙を受け取り、ふと横を見ると、会議開始から約2時間振りに、隣に座る同僚と目が合いました。私たちは互いに、“何かを伝えたいが、何を伝えて良いかわからない気持ち”だけを目で交換し、手元の紙に向き直りました。



しばらくして、部屋中の至る所から声が聞こえてきました。顔も、名前も、お互いによく知っていて、仕事への情熱も、会社への想いも分かち合ってきた、大好きな同僚たちの声。




「あ、もしもし。忙しいところごめんね。今ちょっと時間大丈夫?大事な話だから、静かに話せる所に移動できる?」

「あ、もしもし〇〇だけど、お休みのところごめんね。今平気?そうそう。会議でね、早急にみんなに連絡しなきゃいけなくて…」





こんな台詞がいくつもいくつも折り重なって、まるで、世界に今初めて音というものが戻ってきたかのようでした。


そして私にとってそれは、“終わりに向かって走る日々”が、まさに現実として、スタートした音でした。




続きはまた次回。


それと、皆さんご心配なく。私はちゃんとこのあとトイレに行き、最悪の事態は免れました。

もちろんこんな中では、果たして何をもって“最悪”と言うのかは、難しいところではありますが。

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