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いやいやがくえん #25 手作りおやつとピアノ、兄の誕生日

不登校の娘とのホームスクーリングの記録。
できれば毎日漢字と計算、あと何か自分が学びたいことをひとつ以上、が目標。ここでは主に、「自分が学びたいこと」について取り組んだことを記録していきたいと思う。

今日やったこと。

・おやつづくり

先日に引き続きおやつづくり。アルフォートのチョコの部分とビスケットの部分を分解して、チョコを溶かして型に流し込み、ビスケットを砕いてトッピング。昨日から体調を崩してダウン気味の私ですが、娘の作ってくれたおやつでだいぶ回復!

・ピアノ

昨日お友達が遊びにきてくれて、2人で遊んでいるうちにYouTubeを見ながら見様見真似でピアノを弾き始め、帰る頃には2人でちょっとしたフレーズが弾けるようになっていた。2人ともピアノなんて習っていないのに!「やりたい」という気持ちの大切さが本当によくわかります。ちなみに見ていたのは、これではないかもだけどこんな感じの動画。

スクリーンショット 2020-10-12 19.49.27

ピアノ弾けるようになったら楽しそうだなあと、娘。しばらくはYouTube先生に習おうかな。


そして今日は大好きなお兄ちゃんの14歳の誕生日。たまには外食でもしようかと言っていたけど、私が本調子じゃないので、宅配ピザを頼んで家族3人でおうちでお祝い。兄はケーキはきっとこれが好きだとか、コーラはあんまり好きじゃないからやめたほうがいいとか、いろいろと考えて準備を手伝ってくれました。

私自身、ちょっとやさぐれていた若かりし頃は、誕生日なんてどっちでもいいやと思っていたけど、子どもたちを産んでからは、誕生日は本当に誰にとっても特別な日だと思うようになった。お母さんなしで産まれてきた人なんていないし、お母さんも赤ちゃんも本当に命がけでこの世に命を産み出すのだ。子どもたちはきっとあっという間に大きくなるだろうし、こうやって家族で過ごす誕生日もあと何回できるんだろう。いくつになっても、誕生日は大事な人たちと、笑顔で過ごせるといいなと思う。

息子には「10月」にちなんだ名前をつけたのだが、その元になったのは、田村隆一の「十月の詩」という一篇の詩。

「十月の詩」

危機はわたしの属性である
わたしのなめらかな皮膚の下には
はげしい感情の暴風雨があり 十月の
淋しい海岸にうちあげられる
あたらしい屍体がある

  十月はわたしの帝国だ
  わたしのやさしい手は失われるものを支配する
  わたしのちいさな瞳は消えさるものを監視する
  わたしのやわらかい耳は死にゆくものの沈黙を聴く

恐怖はわたしの属性である
わたしのゆたかな血液のなかには
あらゆるものを殺戮する時がながれ 十月の
つめたい空にふるえている
あたらしい飢えがある

  十月はわたしの帝国だ
  わたしの死せる軍隊は雨のふるあらゆる都市を占領する
  わたしの死せる哨戒機は行方不明になった心の上空を旋回する
  わたしの死せる民衆は死にゆくもののために署名する

田村隆一は、この詩を戦争直後の10月に書いたという。戦争ほどではないだろうが、今の世の中も別の意味でとても危機的な状況であると思うので、今読み返すとなんとなく心に迫るものがある。

彼は別の詩の中で、

一篇の詩を生むためには、
我々はいとしいものを殺さなければならない

と言っている。私はどちらかというと、愛しいものを大事に幸せにできない人の作品なんて、どんなに技巧が優れていても心には響かない、と思っているのだけれど、どうなんだろう。

またもや余計なことを書いてしまいました。

秋ですね。


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