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私たちの宗教

ちょっと荒れそうな内容ですが、思いついたので書きましょう。

とくに日本人は無宗教な民族とか言われますが、正月は初詣に行き、ひな祭りやこどもの日を神前に祝い、クリスマスは楽しく過ごし、大晦日には鐘を突く。

結婚式は、神社にしようか、教会にしようか。

葬式には僧侶に来てもらう。

ゆるっといろんな宗教のお世話になっています。

いわば、無宗教なのではなく『雑宗教』なのだと言えそうです。


ただ、元来ずっとそうだった訳ではありません。

キリスト教が伝来するまでは、神社と寺を同一のものとして扱い(神仏習合)、それは決して雑だった訳ではなく、神と仏のほうが民衆に、相互に干渉しないように日本人の習慣に自分達のしきたりをはめ込んでいった結果そうなったわけです。

そしてキリスト教が入ってからはそれまでの神仏を捨て新しい宗教に宗旨替えする人が現れ、神仏と癒着のあった為政者から激しく弾圧されました。

そんな日本人が、とある宗教を国教としたことがありました。

天皇を神と擁する、オリジナルの神道です。

これは神道でありながら天皇を唯一神としており、日本人は神の子としてアイデンティティを与えられました。我々は神の子であり、父なる神は決して間違いなど犯さないのだと。

このようにして第二次世界大戦へと突き進んでいくわけです。

思えば、唯一神の存在は戦争における『正義』の代名詞として都合よく使われがちですが、そういう神を擁する宗教は後世では須く『カルト』と言われました。

つまり、日本を未曾有の大敗戦に導いたオリジナルの宗教は『カルト』であり、全日本人が『カルト』に入信することを強要されたのです。
(現在でもそのカルトを引き継いで活動している人は存在しますね)

そしてこの話の最も重要なポイントは次の事件になります。

敗戦の時、日本国民の『神』が『人間』になってしまったのです。

何も間違えない絶対的な『神』が、自分たちと同じように人生を歩む『人間』になる。

これは、熱心に天皇を信望していた人ほどショックが大きかったのではないでしょうか?
そして、自分たちが信仰していたモノが引き起こした途轍もない大きな罪を理解したのではないでしょうか?
おそらく未だそのことを理解せず正当性を主張し続けたい人も一定数います。それほどまでにこのカルトは大和民族の性根に深く根付いていたのだと思います。

そして日本人は大きく3つに分かれてゆきます。

1、天皇は未だ神であり、変わらず信仰の対象とする人
2、『カルト』と同じくあらゆる信仰を『禁忌』とする人、前述の『雑宗教』の人
3、それまで信仰していた、または新たに出会った新しい信仰を取り入れる人(天皇信仰以外の宗教)

肌感覚として最も多いのは2、の「あらゆる信仰を『禁忌』とする人」だと思います。とはいえ、正月には初詣、クリスマスには家族と過ごし、お葬式は仏前式、と言う人は多く、つまり「本気で信仰を持つことは恐ろしくてできないが、冠婚葬祭の理由として付き合うことはする」という緩い『雑宗教』観を持っている人たちが生まれたと言えそうです。
もちろん、ここ一番という時に神頼みもするものです(合格祈願とか)し、教会のチャペルや讃美歌に威厳を感じたりすることもあります。日本人にとって馴染みのことわざは仏教由来が多いです。
マルクスの言った「宗教は民衆のアヘン」の言葉通り、『雑宗教』は少量のアヘンのブレンドなのです。
敗戦を背景にもつ『雑宗教』は日本オリジナルと言えそうですね。

1、の人は非常に過激なので目立ちますね。戦前の感覚を保ったまま、靖国神社に参拝に来たり、黒い外装に大きな菊の御紋をあしらった大型車で往来をゆっくり走っていることもあります。それ以上のことはよく知りませんが。

そして現在もっとも社会的な問題となっているのが、3、の人々のうち宗教の中でも『新しいカルト』に分類される宗教たちです。
先述の「民衆のアヘン」で言った通り、民衆にはまだまだ、少量でも「アヘン」が必要です。そう言う意味では日本人で本当に『無宗教』な人はほとんどいないでしょう。
そして、敗戦によって唯一のアヘンを失った日本人は、仏教や神道やキリスト教のような古くからある宗教に依っていった人も多くいたでしょうが、新しくて強く刺激的な「アヘン」を求めて所謂「新興宗教」にハマっていく人も少なくなかったでしょう。
なにしろ、天皇神道が与えていたアヘンは本当に強力で、何年もの間人々を陶酔させ、死の恐怖をも克服させるものでしたから、並大抵の刺激ではそれまでのことを忘れて生きていくことはできなかったでしょう。

そう言う意味では、日本人は強いアヘンを吸うことに慣らされていて、より強い刺激を気軽に求めてしまう国家になっていると言えるかもしれません。そしてそのアヘンは、まだ体からは抜けきっていません。

今、思いついたのですが、戦後、日本人の中で流行った新たなカルトは「高度経済成長」だったのではないでしょうか。『モーレツ社員』と言う称号を与えられ、睡眠時間を削って働くその姿は本当に何かの薬物でも注入されているのではないかと思えるくらいです。

『失われた30年』と言われている今はどうでしょうか?
貧富の格差が広がり、多くの人が2人目の子どもを持つことを躊躇させられ、年間3万人の自殺者が出る現代では、一体なにが民衆の痛みを和らげてくれるのでしょうか?
これは新たな興味として置いておきましょう。

この話に結論はありません。
宗教や心情は個人に帰属し、それぞれがたどり着く結論があると思うからです。
今回はいち雑宗教者の思いついたことを書いてみました。

何か共感することがあったら、コメント、いいねください〜


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