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ありえたかもしれない、チャーリーのその後。

 映画「哀れなるものたち」を観た。
 超ざっくり言うと、瀕死の状態だった成人女性ベラが胎児の脳を移植され、再び生き直すという話だ。
 身体は成人のまま、しかし脳や心は未熟という状態から、どう成長し直すか、とというのがテーマのひとつだった。

 冒頭のベラは、脳が成熟していないゆえに、幼すぎる行動をたくさん取る。気に入らない食事は吐き出したり、不快な行動には怒りをあらわにしたりと、成人女性にはおよそ似つかわしくない行動を取っていた。
 しかし、広い世界に出て、本を読んだり周りの大人たちと関わったりしていくうちに、彼女の脳や心は成熟していく。観念的な考え方ができるようになり、振る舞いも洗練されていった。
 その結果、一度目の生とは対照的に、立派で深みのある人間へと成長し直すことができたのだ。

 この過程を観て、『アルジャーノンに花束を』の主人公、チャーリーを思い出した。彼とベラには、大いなる共通点と相違点があると感じた。
 
 共通点は、世界を見てさまざまな経験をすることで、脳を成長させているという点だ。
 チャーリーはもともと知能が幼児並みだったが、手術によって大人の知能を手に入れられるようになった。手術前は自宅と職場が彼の世界の全てだったが、手術後はそれに加え、研究をするための大学、研究成果を発表するための学会、社交場など、飛躍的に世界が広がった。
 そしてその中で、人間に対して新たな感情を抱くようになったり、今まで気づいていなかった人間の汚い面を知ったりするようになる。こうしたことによって、チャーリは脳や人格を成長させていった。

 ベラにも全く同じことが言える。脳を移植された直後のベラは、移植を担当した医者であるゴッドの命により、家から出ることを禁じられていた。
 しかし、家を訪れた男性に誘われ、家出をして船旅をすることになったのだ。この船旅の中で、ベラはさまざまな経験をし、成長していくこととなる。

 どちらも、「閉じ込められていた未熟な人間が、きっかけを得て世界に飛び出し、多くの経験を積んで成長していく」という筋だ。
 現実世界を生きる我々も、未熟な乳児の時は家にいるが、身体的に成長するにつれ、家以外の場所へと世界を広げる。それに伴って経験の幅を増やし、内面を成長させていく。
 両者で描かれている筋は、生き物としての人間の成長、そのものなのではないだろうか。

 また、両者にはもう一つ、興味深い共通点があった。
 それは、どちらも成長の段階で、性に目覚めることだ。
 チャーリーは、自身の発達を研究している女性に、ベラは家を訪ねてきて、世界への興味を誘ってくれた男性に、性的な興味を持つ。
 しかしこの時点でどちらも、性に関する体系的な知識はない。なんとなく身体のなから湧き上がってきたムズムズした気持ちを、相手にぶつけるのだ。
 これが非常に興味深い。性欲はもともと人間の本能の中にインプットされているから、誰に教えられずとも、発達の過程で自然と芽生えてくるものなのだ。
 広い世界を見たい、他人と性的に接触したいという欲求は、人間が持つ根源的な欲望だ。だからこそ、そうしたものから縁遠い生活をしていても、どこかの局面で欲望を満たしたくてたまらなくなり、衝動的な家出や奔放なセックスに走ってしまうのだと感じた。結局人間は、本能的な欲望からは逃れられないのだ。

 相違点は、成長が一時的だったか、永続的だったかということだ。
 チャーリーは手術が不完全だったゆえに、ある段階で成長が止まり、退行していってしまった。しかしベラは、成長が止まることなく、右肩上がりに自身をアップデートさせていった。
 ゆえにベラは、世界や人間の汚れた部分も成長の糧とし、深い洞察力と共感力を得ることができた。一方チャーリーは、こうした感性を養い切る前に成長が終わってしまったため、人間や世界のマイナス面を乗り越えることができなかった。
 
 『アルジャーノンに花束を』を読んだ後は誰しも、もしチャーリーの成長が止まらなかったら、彼はどんな素晴らしい人間になっていたのか、と想像を膨らませただろう。
 「哀れなるものたち」は、その答えのひとつだった気がしたのだ。この作品では、成長が止まらず、多くの経験を積んで豊かな感性を育めたら、成熟した立派な人間になる、というを伝えている。
 したがって、もしチャーリーの成長が止まらなかったら、どれだけ立派な人間になっていたか知れない。パートナーであるネズミのアルジャーノンにあんなに深い慈愛の心を持っていたのだから、そうした素敵な部分がどんどん発達していったはずだ。

 『アルジャーノンに花束を』はもちろんフィクションだ。裏を返すと、チャーリーの成長がストップしないという結末もありえたはずだ。しかしそうは描かれなかった。この描かれなかった部分を、ベラが見事に体現していたような気がした。
 ゆえにベラは、ありえたかもしれない「チャーリーのその後」を生きていた人物なのだ。 

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