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卒店

約6年勤めてきたバイトを本日で辞めた。バイト先風に言うと「卒店」した。

バイトを始めたのは高校2年生の6月頃だった。受験勉強の傍らお小遣い稼ぎがしたくなり、近所のマクドナルドに面接を受けに行った日を、昨日のことのように覚えている。家から近く、バイトをするならマックという先入観もあったので、バイト先を決めるのに迷った記憶はない。ここでかれこれ6年も勤め上げるなんて、当時の自分は夢にも思っていなかった。

高2の頃は生活の6割を受験勉強、3割を部活に費やしていたので、バイトに使える時間は生活の1割程度だった。そのため、土日のどっちか(ときどき両方)に3時間(多くても4時間)しか入らないという、お遊びみたいなシフトを出していた。当時は夜にしか入っておらず、土日の6時から9時までが自分の中の固定シフトだった。この時間は人が絶望的にいないにも関わらず、夜ご飯を求めるお客さんで大混雑する。カウンター1人、厨房1人、マネージャー1人のたった3人でカウンターとドライブスルーを捌くこともざらだった。大混雑の末注文ブースにたどり着いたら目的の商品が売り切れていてキレ散らかしたお客さん、クリスマスの日にマックを買いに来たのに全然列が進まずに怒鳴り込んできたお客さんなど、嘘みたいな混雑にあてられて嘘みたいに怒るお客さんがたくさんいた。

しかも、カウンターを捌く自分はピークタイムにちょっとしか入らない、全く仕事ができない高校生バイトだ。当時の社員さんに「平日の夜に入ってくれればトレーニングができるのに」とめちゃくちゃ言われたが、受験勉強を言い訳にしてのらくらとかわしていた。そんな自分だからトレーニングが全く進んでおらず、最低限以下の仕事しかできていなかった。あの頃の自分はお店にもお客さんにも大迷惑をかけていた自覚があるし、自分を雇っていることで損しか生み出していなかったと思っている。いつクビになってもおかしくないと本気で思っていた。


そんな調子で高2の3月くらいまで過ごし、高3になると受験勉強に専念するために休職した。休職とはいえ受験が終わったら辞めるつもりでいたので、受験シーズンが終わったら制服返しに行って辞めますって言わなきゃなと心の片隅で常に思っていた。受験勉強自体にストレスは全然なかったが、これがずっとちょっとストレスになっていた。

一年間ガリガリ勉強し、見事第一志望の大学に合格した。合格発表の翌日に意を決してバイト先に行ったが、高2の頃にいた店長とは違う店長がいて、自分の素性を伝えるのに戸惑った。しかしよくよく話すと現店長も私のことを情報として知っていたらしく、私の申し出を聞くとこう言った。

「マックは週一2時間から入れるから、春休み中にお小遣い稼ぎで戻ってくれば?」

盲点だった。マックを辞めて新しいバイトを探すという考えに囚われていたから、マックを続けることは全く頭になかった。新しいバイト先をどうしようかなとも悩んでいたから、仕事や振る舞い方を知っているマックでバイトをするのが一番楽だと思い、喜んで復帰することにした。


高3の3月に入ったあたりから、再びちょこちょこ働き始めるようになった。この時も夜のシフトがメインだったが、勉強をする必要がなかったので、平日も積極的に入った。高校生の頃は入れなかった10時以降のシフトにも入るようになって、夜のシフトの人とも仲良くなった。

が、何かのきっかけで朝のシフトに入るようになった。おそらく朝は人が足りないからと懇願されたか、午後から授業がある日の朝の使い方を持て余していたかだろう。朝6時半から10時半までのシフトに転向した。

この時点で休職期間も含めて2年マックに勤めていたが、朝マックはこの時に初めて学んだ。お客さんとしてマックに来るときはソーセージエッグマフィンしか頼まなかったので、他のメニューがあることやハッシュポテトの揚げ方、レジの打ち方など、さまざまなことを一から覚えた。ビッグブレックファストを縦入れして怒られたりもしながら、徐々に戦力として申し分ないくらいの力を身につけた。

とはいえ入れ忘れは数え切れないほどしたし、ドリンクをこぼしたり商品を落としたり、信じられないくらいのミスを重ねた。マックのバイトをして気づいたことは、自分のそそっかしさや注意力のなさだった。勤続5年が過ぎてもこうしたミスはしたので、私はマックのバイトに向いていなかったのかもしれない。


とはいえ、週3~4回コンスタントに働いていると、自分の仕事ぶりがだんだん評価されるようになった。その年の秋には店長から「マネージャーやってみない?」と声をかけられた。入れ忘れをすることや高校生の頃の使えない自分にコンプレックスがあったので、こんなポンコツにマネージャーが務まるわけがないと思った。でも声をかけられたこと、ひいては自分の仕事が誰かに認められたことはすごく嬉しかったので、二つ返事でオーケーした。

しかし、そこからが大変だった。当時の店長はトレーニングを積極的に進めてくれる人ではなかったので、マネージャーになるための勉強が全く進まなかった。そのため、なんとなくマネージャーの心得は知っているけど、実際に現場でどう振舞えばいいのか分からない、中途半端な状態になった。一応マネージャーになると言ったものの何も分からないし、厨房のトレーニングが進まないからバーガーも作れないし、マネージャーになったとしても自分は本当に使えないなと思っていた。そう思っていたら制服がリニューアルされ、私のロッカーにはマネージャーの制服しか入っていなかった。恐怖である。今まではクルーの制服しか持っていなかったからなんとなくクルーとして扱われていたけれど、マネージャーの制服を着るようになったらどんなに使えなくてもマネージャーとして扱われるのだ。


シフトの振り方もわからなくて、最初の方は「じゃんけんで勝った方をカウンター、負けた方をスルー」みたいなとんでもない振り方をしていた。今でこそ人に指示を出すことに慣れたが、マネージャーになりたての頃は年上の主婦さんたちに仕事を指示することがとても怖かった。そんな体たらくだったので、私がシフトを振る時間でも社員さんが代わりにシフトを振ってくれたりした。店の時間帯責任者という重圧から解放されるのが嬉しかった反面、仕事ができなさすぎて自分の仕事を社員さんに肩代わりさせていることに、申し訳なさや悔しさも感じていた。

それから2年ほど経った今でも、土日の朝などの人が多い時間に責任者を務めるのは緊張したし、昼のメニューの作り方は教わらなかったので見よう見まねで作っていた。でも社員さんに「君は堂々としているからマネージャーに向いてるよ」と言われたり、厨房のヘルプに入って感謝されたりすることがあって嬉しかった。


朝の時間は常連さんがかなり多い。毎日コーヒーを買ってお店で一服する人や、朝ごはんを買いにドライブスルーを利用してくれる人など、ファストフードのチェーン店とは思えないほど常連さんがたくさんいた。朝定期的にバイトをしていたのでそんな常連さんとも顔見知りになり、雑談を交わすようになった。私はマニュアルに則った接客があまり好きではなかったので、雑談をしてマニュアルを崩すのが楽しかったし、その雑談を受けてお客さんの顔が綻ぶのを見るのが嬉しかった。本当に仲良くなった常連さんから本やお菓子をもらったことは、記憶に焼き付いている。

慣れないマネージャー業務、土日の忙しさ、早起き、時給の低さなど、マックでのバイトを辞めたいと思う瞬間や理由はたくさんあった。でも辞めずに勤め上げられたのは、常連さんがいたからだ。毎日来てくれるお客さんの顔を見てお話しすることが、いくつもある辞めたい理由を遥かに上回るほどのやりがいを生み出していた。


「マックは就活に有利」だという言説をしばしば耳にするし、実際に社員さんも言っていたが、就活をして確かにその通りだと感じた。小さいお店で短い時間ではあったが、ヒトモノカネのマネジメント業務を経験できること、ごっこ遊びではない本当のお店でいち学生がリーダーとして振る舞うという経験は、他のバイト先ではあまりできないものだと思う。マックでマネージャーをしていた話は就活の面接でネタになったし、社会に出る前にトップとしての行動を学習できたことは大きな糧になった。お給料をもらいながらこうした経験ができるなんてありがたいなと感じていた。

マックは年中無休だし、「この日入れない?」ってめちゃくちゃ交渉されるし、時給は低いし、ブラックかホワイトかで言うと限りなくブラックなバイトだと思う。友人にも「マックのバイトはやめときな」と散々言っていたくらいだ。でも勤め上げた今振り返ると、そこでできる経験はかなり得難いものだったなと感じる。お金では買えない経験や縁をたくさん手に入れられた。



大学2年生の頃までは6時半から10時半のシフトで働いていたが、なぜかどんどん朝が早くなっていった。うちのお店は6時半オープンだが、朝の準備やら何やらで5時半からシフトに入ることができる。「もうちょっと早く入れない?」という声に押されて6時15分、6時と出勤時間がどんどん早くなった。

5時半なんてまだ暗いし、そんな時間に出勤するのは絶対に嫌だとずっと思っていたが、大学3年生の終わり頃からは5時半に出勤するようになった。バイトのために朝5時に起きる生活に自分でも少し引いていた。

が、気づけば店の鍵を渡され、クルーのために店の鍵を開けるという重大な任務を仰せつかってしまった。自分が寝坊したらその日に出勤する人が店に入れなくなるため、責任の重さが半端じゃなかった。今までは寝坊しても謝れば最悪なんとかなったが、鍵当番が寝坊したら謝るどころでは済まない。

それに、店を開けて諸々の機器の電源を入れたりレジにお金をセットするのに30分ほどかかるので、5時半出勤を5時出勤に前倒しした。夕方ではなく朝の5時に出勤はなかなかのカオスである。それに伴って起床時間も朝4時半になった。夜勤の父親が帰ってくる時間であり、新聞配達よりもちょっと早いくらいの時間だ。夜更かしをするのが苦手なのでバイトの前の日の夜は予定を入れず、さっさとやることを済ませて9時ごろに寝る生活をしていた。

「マネージャーになったけど使えない自分」ということに数年間コンプレックスを抱いていたが、鍵を預かって店を開けられるようになったことで、そのコンプレックスが薄らいだように思える。誰よりも早く起きて店を開け、開店のための準備をするなんて、マネージャーの中でもごく一部の人しかできない業務だ。それを任されて完璧にこなせるようになったことが、マネージャーとしての自分の自信につながった。


高2の頃から始め、一年の休職期間も含めてかれこれ6年働いてきたが、その間にお店の中は様々な変化があった。レジの仕組みが変わり、デリバリーという全く新しいサービスが始まり、モバイルオーダーで注文が入るようになり、全部の仕事を覚えたと思ってもまた覚えるべき仕事が増えていった。1ヶ月のスパンで変わる期間限定メニューを覚えるのにも少し労力を使った。

でも、それが新鮮で楽しくもあった。午前中は比較的暇でお昼時になると一気に混むというメリハリも、自分に合っていて好きだった。カウンター、ドライブスルー、厨房と仕事の種類がたくさんあるのも、飽きずに楽しく働ける要因だったと思う。


お店で働く人もどんどん移り変わっていった。店長は5人くらい変わっていったし、バイトを始めた頃にマネージャーをやっていた大学生もいなくなったし、自分の下に後輩がたくさんできたし、気づけば自分がマックの中で一番の古株になった。

今日のラストインの時に、一緒に働いていた人からお菓子やプレゼントをたくさんいただいた。自分にそこまでの人望があると思っていなかったので、感激したしとても嬉しかった。私がいなくなることをとても寂しがる後輩や、絶対また遊びに来て!と言ってくれる人がたくさんいるのもすごく嬉しかった。本当にポンコツバイトだったが、いろいろな人に慕われ、頼られ、可愛がられていたんだなとしみじみ実感している。辞めたくなる時は何度もあったけど、辞めずに続けてきてよかったと心から思った。

わざわざお菓子とお手紙を持参して挨拶に来てくれた常連さんもいた。私が楽しくお喋りをしていただけなのだが、それが常連さんにとっての楽しみにもなっていたらしく、今までの働きが報われた気がした。お金を稼ぐこと以上に、誰かに楽しみや喜びを与えられたことがものすこく嬉しかった。


3月は今までのバイト代を全て使い果たす勢いで遊ぶ。働かず、お財布も気にせずに遊べるまたとない時期を謳歌して、4月からは社会人としての生活を始める。マックのバイトも辛かったが、社会人になったら今まで以上の辛さを経験するかもしれない。だが、6年もマックで働き、そのうちの3年間でマネージャーを務めたのだから恐れることはないだろう。

何より、朝6時に起きて仕事に間に合うのだ。





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