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結婚はプロジェクト




昔から
少し変わった関係性の2人の
恋愛小説が好きだった。

山田詠美さんの
ラビット病
無銭優雅
島本理生さんの
Red
小川糸さんの
喋々喃々

何度も繰り返し読んだ。



何より
岡本太郎さんと岡本敏子さんの
言葉をまとめた

愛する言葉

これは
読みすぎてぼろぼろになって
2冊目を買った。




自分が
なるべく普通でいたい
安心したい
と思っているから

ちょっと変わった人たちに
憧れるのかと
思っていたけれど。


どうやら違うと
最近気付いた。

わたしは
2人だけの独特の脈絡と
ルールの中で
愛し合っている様が
好きなのだ。


そんな愛の形が好きなのだ。




2人が
どんな想いで
どんな経緯で惹かれあったのかなんて
本人たちにしかわからない。


それを
他人が外側から
あれこれ言うなんて
本当にナンセンス。



いちばんプライベートなところに
他人を入れたくない。


今はそう思っている
自分を自覚できる。



とはいえ、わたしも
若い頃は
既存の結婚の形に
自分がハマれるのか
とても不安だった。
(結局、ハマれなかったのだけれど。)


だから、
結婚は
家族や子育てのためのプロジェクト
だと思うことにした。


なので、
結婚相手はプロジェクトメンバー。


「結婚」を全うするために
最適だと思う相手を、メンバーを
招集した。


自分のこの判断は
今でも正解だったと思っている。

夫は
完璧な“夫”であり、“父”である。



わたしは
“結婚”のために結婚したのだから
それでいいと思っていた。

自分も
プロジェクトメンバーの一員として
“妻”をやり、“母”をやるつもりだった。



いざとなったら、
恋愛やセックスは
外注すればいいと思っていた。
(でも、夫があまりにいい人だったので
 結婚直後の「ハイ」な状態の時は
 そんな日がやってくるとは思えなかった。)


でも、予想外に早く
その日は
やってきてしまった。


やってきてしまったので
乗るだけ、だった。




こんなに世界では
生き方も働き方も
自由ともてはやされているのに

パートナーシップにおいては
ひとりの人を永遠に
愛し続ける
というステレオタイプが
掲げられ続けるのはなぜだろう。



異性愛者も同性愛者も
無性愛者も
声をあげているのに

愛している人が複数います
という声は
なぜか小声になってしまう。




であれば、
「結婚」という枠から
出てしまえと言われるなら

確かにそうですね、としか
言い様がない。




でも、そんな自分と
どう向き合うか
どう付き合うか
モラトリアムの期間が
あってもいいじゃないか。



正しいか
正しくないかで
生きる時代は終わった。


自分だけの心地よさを
知っているものだけが
しあわせになれる時代へ
ようこそ。



灯寧


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