見出し画像

IQ140とIQ80の凹凸人生。自分の「土台」を吸収して、創り変える。

機能不全家族で育ち、その上「母親との共依存」が酷すぎたわたし。
2015年にその事に気づかされ、
「ああ、わたしが長年困っていた漠然とした『不安』と『自信の無さ』はそれだ。。。」
と、直感的に納得がいきました。
実際に「毒親」の本を初めて手にしたのもその頃。
当時は、現実を受け入れることができず。
手が震え、涙がこみ上げてきて、読み進めることができませんでした。

が、
あの当時の「きっかけ」がなければ
今のわたしの幸せはありません。

ものすごい「恐怖」と「闇」の感覚が
始まりの合図、でした。
誇張した表現ではなく、リアルに。
わたしにとっては「恐怖」でしかありませんでした。

機能不全家族と、
共依存
に気づくこと。

自分の「生死」に関わることですから。

それくらいの恐怖を、
知識や情報なんか知らない。
ただ「体感」「直感」として、
わたしは並々ならぬその感覚を
細胞の奥の方から感じていました。

振り返ると色々とありますが。
今日はその話ではなく。


それと同じくらい
わたしにとって大きかったことは
「発達障害」と「IQの問題」です。

ここ最近では
もう社会常識なんじゃないかと思うくらい
誰もが知っているテーマ・領域の話だと思います。

が、
わたしが自分自身知った2018年頃は
もっと「マイナー」というか。
社会的に「疎外感を感じる」ことの方が
多いような印象でした。

わたしが
「何か、わたしは他の人と違う。おかしい」
と感じていたのは、小学生の頃なので
自分の発達障害としての「自覚」「関わり」は
もうかれこれ30年も前がスタートです。

これまでで
死にかけたこと複数回含め
困難は色々とありましたが
致命的なことは幸い避けることができていて
(これは、スピ系な話になるのでまた別の機会に)

だけど、
社会人になればなるほど「難しいこと」は際立ち。
社会生活を営むにおいて、
また「他者との関わり」において
本当に困りごとが次から次へと湧いて出てきていました。
同じパターンになることは分かっても、
「発達障害」という存在自体「知らない」で生きていたので。
とにかく「何かがおかしいことは、わかる」と。

その感覚だけで生きていて。
実際に「調べる」には至っていませんでした。

今思えば、よくわかります。
わたしは「知るのが怖かった」んです。

実際、
わかってから親に「わかってほしくて」
色々とアプローチしましたが、全く理解を示してくれず。
実の兄妹ですら、そうでした。

機能不全の人たちだったので、
仕方のないことでしたが。
わたしは、「家族なんだから」
説明したり、頑張って話せば「わかってくれるはず」
と期待していました。

けれど、
それは叶いませんでした。
家族でさえ理解者になってくれることは
稀であるという情報は知っていたけれど、
わたしは「自分の家族はわかってくれるはず」と
期待していたんですね。

過去のわたしは
本当に、
自分の家族のことを「特別(いい家族)」
だと思いたい気持ちが強かったです。

痛々しいくらいに。
強かった。



この自分の発達障害とIQによる
「自分の特性」について


大事なこと。
それは



自分自身で
自分自身のことを
知り、把握し、理解していくこと。


まずは、というか
唯一、ただそれだけ、です。

どれだけ
自分で自分のことを
深く、理解していくか。

その1点につきると思います。


その上で、
周りの
たとえばパートナー
もちろん、できれば家族。友達。
職場の仲間や上司。

少しずつ
お互いのための理解として
自己開示をしていく。


自分が関わる
全ての人に理解してもらう必要はありません。

自分の人生において
大切な人、
深く関わる人。

理解を求めるのは
本当に「濃い関わり」の人たちだけでいいのです。
しかも、「これからの人生」に
必要な人だけで。


多くの人に
理解してもらう必要はないのです。

それよりも
まずは


「自分が」
自分のことを、分かっているのか。
どれくらい、理解して、自分を生きているのか?


その方が
よっぽど大事です。

誰か

に求める前に

わたし

です。


そういうことを踏まえて、
本当に実感していることですが

わたしが自分の「発達障害」と「IQ」について
受け入れて、生きていく覚悟ができたのも、
機能不全家族と共依存について
しっかりと向き合ったから。


共依存の問題を、本当になんとかしたい。
自分のことを「ちゃんと、深く理解したい」と。

そのことに必死で。
その取り組みの中で
必然的に「関わる」必要がでてきたもので。



信頼できる、
わたしの私生活(普段の選択、コミュニケーション)に
詳しい第三者から言われた
「客観的な意見、視点」から
知る・把握する・理解するに至りました。


これは2018年の話ですが。
このことも、
当時のわたしは最初受け入れるのがキツかったです。

頭ではわかるんです。
納得する。
これまでの人生のことを考えると全てツジツマが合う。


だけど、
とんでもなく、ショックでした。


そもそも
親やわたしの家族は
典型的な世間体を気にする人たちで。
「障害」と名のつく人たちに対して
「偏見」と「見下し」をしているような人たちでした。


だから、
わたしは自分が「障害」と名のつくような自分を
受け入れることができませんでした。


家族から見下され、
「『同じ家族ではない』扱いをされる」
と、感覚的にわかっていたから。
(実際、そうなりました)

小学生の頃
わたしには知的障害の同級生が居て。
家族が、どんな反応をし、どんな態度対応でいるか
わたしはよく知っていたのです。

幼いながらに
わたしはそれがとてもイヤだった。

だから
小学生の頃から
「何かわたしは他の子たちと違う」と感じて
恐れを持っていたけれど。
誰にも相談できなかったし、
その「漠然とした不安」を抱えながら
大人を斜めにみて、諦めて、生きている節がありました。


みんなが興味関心を持っていることに
興味が持てない。
みている場所が違う。
なんなんだろう。

周りに合わせながら生きるも、
自分の「居場所」や「安心できる感覚」は
どこにもありませんでした。


そのことも、
2018年以降、
数件の精神科で何回も検査を受け
臨床心理士の方たちと話をしていく中で
納得がいきました。

わたしにはIQ上「標準」「一般の数値がない」
ということで、よく理解ができたのです。

そこに
発達障害の特性も加わるわけです。

周りの人から理解されるわけもなく。
わたしの両親が
わたしのことを「理解できるわけがない」ことも、
その頃ようやく諦めがついたのです。


30代半ばまで
わたしは「現実逃避」が当たり前の世界に生きていました。


もしも
共依存の問題にきちんと向き合っていなければ
たぶん、そのデータで出された事実も
違う捉え方をしたり、認知を歪めて、
都合よく使ったり、扱ったり。

きっと
自分の人生にうまくその「情報」を吸収できて
いなかったと思います。

わたしが
その自分自身を示すデータを
今、自分の人生に活かし始めていたり
それまでずっと抱えていた生活上困難なことが
大幅に減ったこと。

それは
わたしが「共依存」と「機能不全家族」
という「過去の自分」を創ってきた現実と事実に
しっかりと目を向け
、解消できたからこそ。

全てを
受け入れて、理解し。
わたしの人生の一部として
しっかりと吸収できたからだと。


今は、
そんな風に感じています。


受け入れていくのに
「土台となる」
自分の大元の現実
がある。



そこから
創り変える「自分らしい」人生。



まだ「悩み」の中にいる人も
きっと、変われます。


本気で、望めば。
本気で、叶えたかったら。


創り変えていけます。








今後、母子共に「自分らしい幸せ」を諦めず、希望をもって生きていけるための具体的なサポート活動を拡げていきます。そのための活動資金にしますので、ぜひお気持ちいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします。