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色眼鏡付きの世界を愛してあげたい


こんばんは、芥川独りと申します
X(旧Twitter)で詩と写真をあげて活動しています

今回は、noteクリエイターフェスの企画 #写真が好き に合わせて、小さなエッセイを投稿しようと思います


写真を撮るという意味


写真を撮るという行為はどういう意味をもつのか、昔からずっと考えています

よく、写真は"現実を映す鏡のようなもの"と形容されることがあります

現代の若者の間では、自撮りに「iPhoneノーマルカメラ」などの文言を付け加えて、世界をそのまま切り取ったことを強調することをステータスにしています

インスタや雑誌に載っている写真を見て観光地に行くと、実はがっかりスポットだったという話も幾度となく聞きます

そこでいつも私は思います
果たして、本当に写真は現実なのでしょうか
写真を撮るということは、事実を担保するためのものに過ぎないのでしょうか


芥川独りと写真の出会い


私が写真と出会ったのは6歳の頃でした
6歳には珍しく、電車通学が必要だったので、
母親は私に子供用の携帯電話を持たせてくれました
通話とショートメッセージとカメラだけがついている、簡素なキッズケータイ。
私はそのおもちゃみたいな携帯電話で帰宅風景を写真に撮って母に送っていました

人生で初めて撮影した空

今見れば、画質は全然良くないけれど、色味も少ないけれど、6歳の私からしたら充分生きるに値する美しい空であったことは分かります



13歳に初めて自分の一眼カメラを購入します
その後、中学でも記録部としてカメラを振り回し、高校でも写真部に入り風景写真の撮影を続けていました

目が覚めるような茜色の夕焼け、


胸を打たれるような満点の星空、


モクモクとどこまでも広がる夏雲、


心が洗われるような新緑の並木


───私がその時素敵だと思った風景を逐一撮っては見返して生きる糧にしていました



一眼カメラという色眼鏡


大人になるにつれて、少しずつカメラについても学びました

カメラには、露光・シャッタースピード・絞りなどの設定すべき項目が多数あります

明るくしたり、印象的にしたり、なびかせたり、色々な味がそれらの設定でで出せるのですが
大抵はオートモードを選ぶと自動で丁度いい"それっぽい"写真が撮れます

いわゆる"撮って出し"と言われるような、加工のない写真をSNSなどで出すことで、iPhoneとは一味違う一眼カメラ本来の味わいを感じられる
…とよく言われています


ですが、果たしてそうでしょうか

一眼カメラは、撮影する時点で既に色眼鏡が入っているんです
レンズの色、レンズの歪み、センサーのサイズ、他にもカメラメーカーの得意な色などが既に存在していて
例え無加工であっても撮った時点で先入観ありきの写真になっているんです

面白いですよね
現実を、真実を切り取ったつもりで、実は全くの偏見であるということが、この上なく痛快です



自分の色眼鏡を愛すること




だからといって、私は色眼鏡を憎んでいる訳ではないのです
むしろ、それこそが写真の美しさだと思っています

写真というのは、現実の証明ではなくて自分が見ている世界そのものの切り取りだと思っています

自分の色眼鏡を愛する、ということ
それこそが写真の良さであり、アート表現の真髄だと思っています

私から見える世界はこんなにも美しいんだよ!と
この世界で再描画する過程として、一眼カメラでの撮影があるのだと私は信じています



愛してあげてください、あなたなりの世界を




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