見出し画像

小4の1月より完全不登校生活をしていた、末っ子。小5の4月からも学校には行かずに、フリースクールに週1回通うことで、過ごしていました。

フリースクールには、家庭科・図工のある曜日に、自らバスと電車にのり、
登校し、お弁当を食べて帰ってくるということが、徐々にできるようになってきていました。それまでは、母が送り迎えをしていました。

しかしながら、小学校の在籍はクラスが1クラスしかない、小規模特認校。そこには、自分の居場所はない。学校に入れない状態、クラスに入れない状態での不登校という選択。在籍する学校は、行事のみの参加なども、できない状況となっておりました。

5年生になり、新しく担任の先生となった先生からは、宿泊学習の案内をいただき、5年・6年合同で宿泊学習をするため、6年の真ん中っ子は楽しみにしていますが、末っ子は行かないの一点張り。

同時に、真ん中っ子は、中学受験をすると決め、6年生になり、突然受験勉強をはじめました。

5年生の末っ子は、自分は受験勉強はしない、地域の中学に行くと、決意。
地域の中学に行くのであれば、小学校の5年6年の学習はしておいたほうがいいのではないかと、自ら、地域の学校に戻りたいと、選択しました。

まず、地域の小学校に、本人と夫婦で見学に行く予約を取りました。
そこで、教頭先生(以前と交代していました)と、お話をさせていただき、
5年生のクラス、そして特別支援のクラスの見学をさせていただきました。

この時点で、本人は、地域の小学校に復帰の意志はありましたが、やはりマンモス校、クラスに直接入ることは難しい状況でした。1クラスだけ、たまたた見学に行ったときに、末っ子のことを知っている子たちが、ニコニコして、迎えてくれたクラスがありました。

仲のよい友達とは、違うクラスでしたが、以前不登校の原因となったお友達とは別のクラスにしていただくお願いをして、この日は、末っ子の、学校への適応できない部分、今後どういう学びや経験をしたいと本人と親で合意しているかということをお伝えしました。

HSC、感覚的に敏感で、人前での発表が難しく、給食のデザートや魚が苦手で食べられないこと、田植えやプールで、前の学校で先生との様々なトラブルがあり、そこから、お友達関係にも及び、皮膚が痛い、咳が止まらないという症状が度々出たため、学校には行かない選択をしていることをお伝えしました。

特別支援学級に入るには、学校判断で、体験はできます。そして、詳細は、就学相談という窓口が、対応してくださっているということだったので、就学相談窓口に相談しました。

そこで、通常クラスだけでなく、特別支援学級があれば、学校に行けると思うと本人が言っていること。
転校の意志があること。教頭先生との面談で、既に、特別支援学級での受け入れも可能というお話をいただいていることをお伝えしました。

就学相談はしませんでしたが、窓口の方に間に転校先には詳細を伝えていただき、在籍校に転校の意志を伝え、転校先の教頭先生と、母の面談により、さまざまな詳細についての詰めを行いました。

靴箱、ロッカー、机を通常級と、特別支援の教室の両方に用意することを希望するか
給食で食べられないものがなにか
食べられないものは、完全残しか、少しだけ試してみるか
クラスへの紹介の仕方はどうするか
自分の席に本人がいるところへ、新しく転校してきた◯◯さんだよと先生が紹介してくださるか、自分で前で自己紹介するか。
通常級へは、事前に以前この学校にいた◯◯さんが戻ってきたよと案内していただく
など、事細かに打ち合わせをさせていただきました。

そして、現在、転校後10日が過ぎました。
特別支援学級の先生と今は密に連絡を取り合いながら、
そして、私も本人の希望に合わせ、学校への送り、迎え、同行してほしい授業は廊下の外から見守る。
など、しています。

昨日は特別支援の先生と通常級の担任の先生との面談。
事細かにお話をしてくださり、面談時間2時間。

現在のところ、7月に行われる林間学校に向けての班ぎめ、活動などは、クラスに入り短時間ですが、参加。一人作業の多い家庭科は、クラスに入る。それ以外は、特別支援の教室で過ごしています。

一度不登校になった子どもがクラスに入るには、気になる様々なことがあり、科目ごとに、委員会、クラブ、班決め、給食をどれだけ食べてみるかなど、こんなにもの、スモールステップが必要なのだということと、自己決定して、そこに望むことの大切さを先生の対応から学んでいます。

一日一日、この科目ではどんなことが起きるのか、どんな学び方をしたいかということを本人と先生とで話し合いながら、勧めてくださる、この手厚さに、本当に本当にありがたいと思います。

と同時に、送迎や家での子どもとのコミュニケーションなど、一緒にお願いしますということもたびたび言われています。

林間学校もただ、皆と同じように、いってこーい!
と出すのではなく、宿泊先近くにスタンバイして、皆と同じようにできなかったときのフォロー体制も含め検討する。親のサポートも含めて、どうするのがその子に必要なのか、そしてどこまで親ができるのかということも含め、計画していく。

このスタンスに、これまでの自分の子育て・・・・本当にもう、あーごめんという感じです。

ずっと働いてきたので、やはり自分の仕事に子どもたちを合わせさせてきたよな、ということを自覚しながらも、本当に子どもを学校に戻してあげるには、それだけの覚悟と親の意識を変えていくことの必要性、学校と共にあることの大切さを感じています。

学校と一緒になって子育てしていく。このことが、やっと第三子にしてほんとうの意味で、理解して動けるようになったなぁと思います。

大変ですけど、学校に行けるとなったら、末っ子、本当に元気になりました。
本当の元気って、こうやって作られていくんだなということを目の当たりにしています。もっともっと書きたいことはたくさんあるのですが、ひとまず今日はここまでで。

HSCの感覚敏感な子どもも、特別支援学級で受け入れしていただけていること、本人の苦手や対人恐怖に関して、先生と一緒に考えられる不安やチャレンジ、どこまでどうやる?をひとつひとつ、会話をして対応いただけていること、そして、それは、8ヶ月前から末っ子に毎晩やっている固める反射・原始反射の統合ワークのおかげでもあるのだろうと感じています。

HSC子育ては、大きな大きな仕事です。

それを3人分やっているなんて!
天才かよ!私と。
ちょっと強がってみます(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?