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【大学と就活】あのとき私たちは必死に生きていた

2月10日(金)日記

競争は必ずしも同じ条件下で起きない

心が折れそうになった。今日は、就職支援センターの方との面談があった。

「まあ、何してたかは聞かれると思うから(対策はしようね)」

大学を卒業してから2年間のブランクがある私に彼女は言った。ごもっともだ。

「どうして就職できなかったの?」

彼女は私に聞くので、自分が考え行動してきたことや、自分を取り巻いていた状況を話した。例えば、大学の就職支援センターが機能していなかったことや、論文の設計がコロナの影響+私の力不足により頓挫し、最後の数ヶ月間を就活よりも卒論執筆を優先して走らざるを得なかったこと。

「まあ、みんな同じ条件だからね。(卒業論文の)それは言い訳に聞こえちゃうなあ。」

と彼女は言った。ごもっともだった。しかし、私は釣具程度の引っかかりを感じた。私の中のまっくろくろすけがざわついた。私たち新卒が就活で体感している競争は、決して同じ条件ではないと。同じ条件の土俵で競争していない。そもそも競争しているのかさえわからない。それが社会のリアルだと、そう思った。

大学と就活・二項対立

私の所属した研究室は、学内で最も厳しく、課題が多いと有名なゼミだった。自分もそれを望んで所属していたし、ゼミがあった2年間は最高に楽しかった。ただあまりにもゼミ中心の生活を送っていたため、論文や洋書を読むことに気を取られ、自分の中で注意深く就活に向き合う余裕をつくることができなかった。(もちろん、自分も悪い・力不足。)

同じ研究室の学生たちは、大学と就活に挟まれて、精神が分裂されそうになるのが気持ち悪いので、就活に不満をぶつける構図だった。(私にはそう見えた。私もそうしていたところがある。)
3年生の春にゼミが1クール終了した時点で、「教授の教育方針に賛同できない・就活を優先したい」という理由で、同期の2人が消えた。

教授は、時々、以下のような意見を語った(大体こんな感じ)。

「(日本は長年、不景気だから?)徐々に、インターンや就職活動の時期が早まっていて困る。大学での学びは、4年間で完結する、いやそれでも足りないくらいなのに。」

「結果よりもプロセスの方が大事だ。」

「良い会社に入るために勉強するっておかしくないですか?目的がないと勉強できないってどうかしてますよ。役に立つかどうかなんて、勉強してからでないとわからないでしょう。頭にあるものを使えるようにするのが本物ですよ。それにその時代に役に立ったことが、未来永劫、役に立つなんてありえません。」

教授の意見は、教授という立場にいる者として、一人の人として、正しいと感じた。また、多忙な中、ちゃんと教育を全うして下さった教授に、本当に感謝している。彼の人柄も好きだったので、私は走って(厳密には引っ張られながら)ついていくことができた。たくさん私を引っ張って頂いた。そして、私は学内で優秀論文賞をもらって卒業した。

あのとき私たちは必死に生きていた

大学最後の2年間。あのとき私たちは必死に生きていた。彼は、教授として、また一人のビジネスパーソンとしての責務を、十分すぎるほど果たして下さった。民間で生きてきた経験のある彼は、とても眩しい存在だった。私たち学生は、必死に食らいついていった。毎日は充実していた。ただ私だけが就職活動に転けてしまった。今思うことは、本当にあの過ごし方でよかったのだろうか?という疑問と、やっぱりあの過ごし方でなければダメだったという肯定だ。過去を振り返って、心が折れそうになった。こんなことを考えてしまっている自分、また結果を出せなかった自分が情けなかった。

研究室の同期に「お疲れ様です」とSNSで連絡をした。数十分後に、着信があり、それを取った。

「大丈夫?僕ってことは、大丈夫じゃないよね?」

これが第一声目だった。まさに阿吽の呼吸だった。大学時代から、お互いに大丈夫ではないとき、励まし合ってきた仲だった。感動した。涙が出た。彼は静かにゆっくり話を聞いてくれた。的確な助言をくれた後、残業があるからと仕事に戻っていった。絶望感に浸っていた脳が、少し明るくなって、背筋がしゃんとした。ありがとう彼くん。

あのときの感動をもう一度

私は過去の選択を間違っていなかったと思いたい。正解にしたいと思った。自分のことを心配して助けてくれる人々がたくさんいることにも気づいた。彼らの期待にも応えたい。いつか自分も彼らを助けたい。そして、あのときのように、目の前のことに夢中になって、必死に毎日を生きていたい。あのときの感動を、もう一度、未来で味わえますように。

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