わたしの子宮
うちの両親はそれぞれが毒親育ち。毒親同士が結婚して生まれたわたしは、アダルトチルドレンのサラブレッド(世代連鎖)です。わたしの家族は、5歳下に弟と、7歳下に妹。DVモラハラパワハラアル中の父親と支配的でネグレストな母親。家庭にも学校にも居場所のない闇の小学校時代を、4歳までの母親との楽しかった記憶だけを糧に反芻しながら過ごしました。私立中学への入学が第一の転機となり、そこから私立一筋で大学まで入学・卒業し、家から逃げるように結婚までこぎつけます。(お父さん:義理父)
女性ばかりの新しい会社に入って3年ほど過ぎたとき、わたしは生理が酷いことになってるのを自覚しました。
2週間出血がずっと続き、1〜2週間ほど休憩の後、また次の生理が始まっていました。
原因に思い当たることがあったので婦人科へ行きました。
子ども嫌いなわたしにとってこの上なく敷居の高い場所ですが、仕方ありません。
産科と婦人科で完全に分かれているとか、産科は診ない病院をわざわざ探して行くことにしました。
2年前に小さいのがある、と言われていた子宮筋腫が2cmほどに成長していました。。。
お腹に何飼ってるんだ。。。。
医者には手術だ、と言われました。
出血のし過ぎでヘモグロビンの値が通常の半分以下の6.8ほどしかありませんでした。
看護師さんにも「何か事故とかなくてよかったね、ちょっとでも出血することがあったら、即輸血になるところだったよ」と言われました。
徐々に徐々に血が少なくなっていたので、全く貧血に気づいていませんでした。どおりでやたら疲れるし、同じ時間に家を出るのに会社に着く時間が遅くなるし、夜に足がつるし、頭を動かしたら座っているのに立ちくらみするわけだ。。。(-_-;)
少しでも筋腫が小さくなるように、手術のときまでに貧血を正常値に戻せるように、生理を止めてから手術することになりました。つまり、手術までに今後子どもをどうしていくのかなどについて、考える時間ができてしまいました。
そして、前の記事にたどり着きます。
手術のときは、Kくんが仕事を休んで来てくれることになりました。全身麻酔の手術になるので、親にも伝えておくように言われました。
母親に手術のことは伝えましたが、「付添に行こうか?」というのは「来なくていい」と全力で突っぱねました。
子どものことで思い詰めていて、ナーバスになっていました。しかもわたしが小学校で入院した時の母親の所業を思い出します。
精神的、肉体的に弱っているところにやって来て、何を言われるのかわかったもんじゃありません。子どもを産まない、産めないのを非難してきたり、子どもを産んでよかったよとマウントとってきたり、母親のしそうなことを思うと吐き気がしました。
もういっそ子宮なんてわたしには必要のない臓器を取り去ってもらえば、今後また筋腫ができることもないし、子どもは物理的に無理になって、子どもの話題を持ち出す人にはきまりが悪く感じてもらえるだろうし、月々鬱陶しい生理もなくなるじゃない❗
本気でそう考えて、医者にも「子宮、取ってもらっていいです」と伝えました。
医者は「何言ってるの」と言わんばかりに、筋腫の部分だけ取れますよ、子どもはちゃんと産めますよ、と太鼓判を押しました。
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