【北陸新幹線延伸開業】旅行者にとっての"ハレの日"と、地元にとっての"ちょっと特別な瞬間"【北陸本線短縮/特急縮小】
こんばんは。今日は旅行というか鉄道・バスのトピックで記事を書いてみます。
プロローグ:そもそも何しにどこに行ったん?
先日3/16に、北陸新幹線の金沢(石川県)〜敦賀(福井県)が延伸開業。東京から福井県まで直通で行けるようになりました。また、その前日には、従来の北陸本線がJRの管轄から離脱し、従来たくさん走っていた大阪・京都からの「サンダーバード」や名古屋・米原からの「しらさぎ」といった特急列車は福井駅や金沢駅に足を運ぶことがなくなりました。
この歴史的転換点にたまたま訪れる機会があり(最初の目的は「ラブライブ!蓮ノ空シリーズ」の聖地に行きたかったことなのですが)、実際にいろいろなキモい特殊な切符を発券したりもして、ラストランやファーストランを見に行こうとしました。
この「見に"行こうと"」した(=結果ガチの最終列車や一番列車を見に行かなかった)経緯について、旅行記というか紀行文にしてみます。
第一章:逆張りオタクなので、「絶景のフライト」で富山へ
一般的に、都内から北陸への交通手段というとまず北陸新幹線が思い浮かびます。東京から富山までは2時間強、金沢まで2時間半前後。また、これが福井だと東海道新幹線で米原経由で「しらさぎ」に乗り換えるのも鉄板です。3時間半くらいかな?
また、金沢や富山であれば夜行バスもたくさん出ています。安価で効率よく移動したい筆者はよく使っています。
ただ、この年は能登半島地震の影響が出ていた時期。航空券や宿泊でも、北陸応援割引みたいなキャンペーンが打たれていて、東京から富山までの飛行機が8000円くらいで売られていたのですよね。
富山空港は意外と富山の市街地と近いこともあり、フライト時間も短いので所要時間は都内の場所によっては新幹線よりも短い、なにより、飛行経路が独特だということで、羽田富山便に乗ってみることにしました。
ということで10時過ぎに羽田空港を出るANAのフライトに搭乗。3+3列の小さめの機体は平日とはいえほぼ満員。
さて、羽田を飛び立った飛行機は、房総半島の木更津方面からくるっと旋回して、都心の直上へ。左下にはレインボーブリッジや東京タワー、皇居など、東京のランドマークみたいなものが見えます。
東京から西へ向かうフライトはもう少し南に向きを変え、横浜の内陸みたいな方に向かいますが、富山便はそのまま真西に向かい、国立競技場や新宿の都庁の真上を通るようなルート取りをして、気づいたら関東山地に突入。機内サービスを受けているとあっという間に長野県を過ぎて日本海側へ。
富山市内もわりと低空の市街地を飛び、富山駅の直上みたいなエリアをかすめて富山空港に降り立ちます。
いや、これは「はっきり景色がわかる」フライトだわ。交通地理建物全般のオタクとしては楽しいですね。
第二章:鉄道とともにしれっと姿を消す「金沢富山便」高速バス
実はこのダイヤ改正では北陸本線の特急と北陸新幹線ばかりフォーカスされていますが、その一方で北陸地方ではバス路線も再編されます。
その一つが、「金沢〜富山」の高速バスの廃止。金沢側の北陸鉄道バスと富山側の富山地鉄バスが共管していて、1時間に1本と高頻度で走っている便利な系統でした。運賃も在来線と同等なのはもちろん、何より富山側は総曲輪などの市街地や郊外のインター近くの停留所まで、金沢側は武蔵ヶ辻・香林坊・兼六園といった市街地や観光地まで、駅で乗り換える必要がないというのがとても(旅行オタクのよそ者としても)魅力的でした。(金沢側のバス停がわかりにくいと文句を言ってたオタクがいたけど、そもそも金沢のバスはすべてわかりづらいので仕方ない)。ただ、高頻度なわりには乗車率が低迷していたようで、時節折の運転手不足も響いたようです。
そんな富山金沢便。せっかくなので両方向、両会社乗ってみたかったので、まずは金沢→富山の富山地鉄便に乗車。
金沢駅到着時点でぼちぼち人が乗っていました。方向幕が刺さってるべき部分には、「感謝」を告げる特別サボが。
富山駅までは1時間ほどの旅程。まあほとんど寝てたのですが。
到着したところで、普通に用事で乗ってる恒常利用者っぽい方も記念に撮影してましたね。
途中のインターの近くで降りてた人も多かったけど、これからどうするんだろうな。
さて、すぐ折り返し。富山→金沢の北陸鉄道便に乗車。
こっちは先程よりは乗車率低め。ちなみにテレビの取材が来ていて、マニアっぽい人が撮影されてました。僕じゃなくてよかった(?
金沢駅までもやはり1時間と少し。高速道路を走るので、わりと気持ちよく寝られるし、USB充電できるのもアドなんですけどね。
金沢駅より先の市街地まで乗る人も多かったように思いました。電車だと乗り換えが発生するエリアなんですけどねぇ。
第三章:特急街道に別れを告げるその日、意外と変わらない日常
さて、金沢で降り立ったら、北陸本線で3つ先の松任(まっとう)駅へ向かいます。
なぜここを目指したかというと、JRの「みどりの窓口」があるので、ここで記念に青春18きっぷを購入して記録に残そうと思ったからです。(普通に使いますけどね)
ここのみどりの窓口、残念ながら17時終了。到着したのが16時半過ぎで、自分の3人前で発券打ち止めになってしまっていました・・(18きっぷは指定席券売機で無事買えたのでそれはよかったのですが)
ここで思ったのは、もちろん変な切符を買いにきたオタクも多かったのですが学割で普通にお出かけのきっぷを買いにきた学生さんがいて、駅員さんが「明日はこういうふうに買ってください」って対応してたこと。普通に「この日も明日も、会社は変わっても線路は繋がっていて、彼らは同じように電車を使うんだ」ってことに、少しハッとしました。
その意味では、その後福井までの移動にサンダーバード号に乗ったのですが、インバウンド客が普通にたくさん乗り込んでいたんです。けど、彼らも翌日同じルートで金沢に帰ってくるとしたら、後述する「敦賀大移動」を強制される。でも、インバウンド客としては同じ「日本旅行の一貫」の中に歴史的に大きな転換点があったってことはあまり意識してないと思うんですよね。結局それは、「日々に起こるちょっと大きめの変化」に過ぎない。
でも一方で、その変化って、客観的にみると結構でかいことなんだ、ってこともちゃんと認知してる人もいるな、って思った瞬間もあって。
松任の駅だったり福井の駅には、電車オタクもたくさんいたけど、電車を見に来た小学校上がる前のちびっ子もいました。それと、びっくりしたのが、その子たちが電車に手を振ってるのを熱心に記録するパパママの姿が結構あったこと。
きっと彼らが大きくなったときに、「君が何歳になるまでは、ここに特急列車が走ってたんだよ、新幹線はまだいなかったんだよ」ってのを、スマートフォンという(その頃には大昔の文明になっているだろう)ツールで伝えてるんだろうな、と思うと、ちょっとグッとくるものがありましたね。
第四章:肝心の新幹線はあんまり覚えてなくって
翌日はしっかり寝坊したのと、急遽ラブライブ聖地の市場でご飯を食べることになって、予定してた便よりだいぶ遅い時間の便に変更しつつ、敦賀まで新幹線に乗車。
ぶっちゃけ雰囲気は普通の新幹線と一緒で案外あっけなかったです。外を走ってる区間も多いし、景色が悪いわけじゃ決してないんだけど、なんかあんまり記憶にないんだよなぁ。強いて言うなら、田んぼのど真ん中みたいなところにあった越前たけふ駅の近くから、見物で青空駐車してる軽トラが見えてちょっとクスッとしたくらい。
あとは散々言われている敦賀駅の乗り換えが遠かったこと。特急列車はまだしも、普通列車はそれよりもだいぶ先で、15分あった乗り換え時間が一回改札をくぐったらかなりギリギリでした。
でも、その「雰囲気は悪くないのに素っ気ない」感じ、うまく言えないけど、すごく「新幹線」という乗り物だなぁと思いました。
エピローグ:それぞれの3/15と3/16
言いたいことはだいたい第三章に書いてます。
きっぷを買いに来た学生さんにとっては、あるいはインバウンドで金沢旅行に来てる外国人にとっては、大きな実感は感じられない、ちょっとした変化がある一日。
でも、電車好きキッズにとっては「しらさぎ」や「サンダーバード」が地元の踏切を通らなくなる記念の日。親御さんにとってはそれを記録して思い出に残す日。
富山のインター近くから金沢の市街地に行きたいローカルユーザーにとっては、交通手段が少し不便になる日。
そして、鉄道ファンにとっては、それはフィナーレを迎える列車を労い、新しいスタートを切る列車を祝福する日。
それぞれにとって、変化の度合いこそ違えど、少し特別な日。
そんな時間に立ち会えてよかったな、と思いました。
めっちゃまとまりない文章だけど、終わり!!
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