大木 亜希子
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過去の自分に救われてる。
昨日、自宅に小包が届いた。
差出人は、しばらく会っていない友人だった。
小包の中にはレモネードの瓶が2本入っており、付属の便箋には、こう書かれていた。
「会っていない間に仕事が変わり、このたび遠方に引っ越すことにしました。
これからは、今までのように頻繁には会えなくなります。
お別れの代わりに、このレモネード受け取ってください。
私が無自覚にメンタルをやられていた時、亜希子が助けてくれ
4/27(土)ピアノ・トークイベントやるよ〜のお知らせ📢
おこんばんは☺️🙏✨東京は雨。
今宵は、ウケるお知らせをさせて下さいませ🍵
4/27(土)に東京・神楽坂のオシャンティーなライブハウスでピアノ&トークイベントをさせて頂きます。
すっかり告知を忘れておりましたが、Instagramのストーリーの告知だけで続々とお席が埋まり、歓喜でございます😭🙏✨
とはいえ、まだご予約可能ですので奮ってお越し下さいネ☺️🌹
以下に詳細をお知らせを
人に気を遣う癖が抜けない。
とにかく昔から、人に気を遣う。
気を遣うだけではなく、気を遣わせてしまう。
先日も楽しい仕事関係の会食があり嬉しかったのに、気遣いが限界まで達し、早々と撤退した。
そういう時、私は、考えてることが2つある。
ひとつは、大人になると「人見知りです」という印籠をかざしても、どうにかしてその場をやり過ごさなければならない瞬間がありすぎるということ。
もうひとつは、たしかに人見知りだが、一方では
大人になっても人見知りは完治しなかった。でも
以前から顔見知りだけれど、サシでお食事をするのは初めての方と、たまたま縁あってお酒を飲みながら色々と語ることになった。
私は絶望的に人見知りで、尚且つ、それがバレないよう普段からゴテゴテに笑顔でコーティングするので、相手からは社交的に思わることが多い。
その地獄のようなパラドックスは自分で蒔いた種なので、甘んじて引き受けるけれど、でも本当はいつも誰かと仲良くしたい時、そのことが足枷になっていた
こないだ見た夢のこと。
先日、昔好きだった人が夢に出てきた。
夢の中で私は、彼の手に触れた。
柔らかい手のひらの感触があり、困り果てた。
彼の周りを取り巻く寂しそうな空気感、空っぽな瞳、時々クシャッと笑うところまで再現度が高く、私は夢の中なのに、
「ゲッ。これ以上、絶対にこの人に触れてはいけない」
と、警戒モードMAXだった。
一方、とても冷静な自分もいた。
久しぶりに君臨する目の前の男に、どうやらもう熱烈
泣きたい時に泣くことを我慢した子供は、そのぶん神さまが、大人になってから涙もろくさせるのだと思う。
そして、いつか人生を全うした時、全ての人間が同じくらいの分量の涙を流し切るように設計されているのだと思う。
そう思えば大人だって泣きたい時に泣いていいし、自分を赦せる気がする。
友達の大変さを私は変わってあげられないし、私の大変さも友達は変わってくれない。
でも、しんどい時、「ここにいてくれるだけでいいよ」と言い合えるだけで生きることを頑張れる。
お互い孤立した個体で、それぞれ別の人生で、バラバラに辛い思いを抱えていても、痛みは共有することで孤独が紛れる
今の、自分の実力を認める
今、近所の公園でこれを書いている。
多分、大して有益な情報は書けない。
改めて読み直した時、「無意味〜。無意味なnoteを書いちまった〜」と思ったら消す。
しかし、なぜ、書いているかと言うと、書きたいから書いているのである。
◆
近頃、苦しい時期を通っていた。
誰しも、あると思う。辛い時期が。
それで、一生この辛い時期が続くのかと思った。
冷静に考えれば、そんなこと、あるわけがない
自分を手放したくなる日もある。
神様、今日は天気が良いけど、私の空模様は最悪です案件もザラにある。
それでもなぜ生きるのか問われれば、得体の知れない好奇心が私を生に執着させるからと答えることにしてる。小さな光を頼りに進む。そして、またある時、生き延びたと思う。常に、その繰り返し。
どれだけ頑張っても到達できないところまで行く必要があり、それは、とても暗く辛い道なのだけれど、「なぜ、そこを通るんですか?」と聞かれたら、通りたいから通るんです、と言わざるをえない。
苦しみや哀しみの果てにあるのは幸せではなく、安らぎだと思う。どうせ苦しいなら笑顔でいきましょう。
時々、未だにアイツのことを思い出す。
しかし、恋愛の季節はとっくに終わっているので、心の中心はポッカリと空洞で、虚無なままだ。
想像の中で私は、アイツに「愛を教えてくれてありがとう」と伝える。
アイツは何も言わず、ただ困ったように微笑んで、じっとしている。それでいいんだと思う。
かつて生き延びるために恋が必要だった。でも、自分らしく生きていく為に、今度はその恋を捨てる必要があった。
誰かと邂逅し、分かち合い、成熟するプロセスさえ忘れて、ひとりで全力で生きてきた。
自分を大切にして、相手も大切にして生きていくことが出来たなら、それは私にとって、最も幸せだ。