こんな日が来るなんてね。
自分という人間は、あまり他人の幸せを喜べないタイプなのだと思い込んでいた。
しかし、近頃そうでもない。
きちんと他人の幸せを喜べる。
なぜそう思ったのかというと、とても奇妙な話だが、先日の朝歩いていて、とても気持ちのいい風が吹いてきたからである。
その風が、 とにかく気持ち良かった。
ただ、それだけのことで、そう思った。
その瞬間、アレ?本当は私、随分前から人の幸せを喜べていたかもと、なんとなく思い直した。
いや。風とか、言っちゃって。
もっと具体的なエピソードを下さい、と思われる方もいると思う。
自分でも、そう思う。
しかし、その日、そのタイミングで吹いてきた風に、私はただ心が救われた。
そして、それで良い気がした。
人間というのは案外、愛を持って生きていける生き物なのもしれないと思えた。
ただ、それだけで良い気がした。
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元気になることに大きなきっかけもなければ、ドラマティカルで、劇的にキャッチーなエピソードもいらないのかもしれない。
ただ普通に気持ちがいい風とか光とか、いい感じの公園の木とか、街ですれ違った赤ちゃんとか、道で手を繋いでる素敵な老夫婦とか、仕事ができる近所のファミレスのバイトさんとか、そういう人や自然に、ただ救われることもある気がする。
とはいえ、正直に言えば私も、風が気持ちいいと思った次の瞬間には、「きっとまた辛い夜もあるんだろうな」と思った。
またしても、「とはいえ」という便利な言葉で、ネガティブになる自分に嫌気がさした。
折角ひとつの風によって幸せな気持ちで満たされたのに、たった3秒も平和が保たれないなんて、なんだかなぁと思った。
でも私は、それでも、あの朝、あの気持ちのいい風を3秒感じるためだけに、この冬を生き延びた気がした。
この風を感じるまでにしぬほど辛かったけど、「はい。もう苦しい時期はおしまい」と、そこで自分で決めた。
自分で決めることが、大切だと思った。
◆
もしかしたら幸せというのは、掴みかけたその瞬間から、あっけなく消えていくものなのかもしれない。
でも、それで良いんだと思う。
それが正常なんだと思う。
全ての出来事は、いいこともわるいことも、形を変えて過ぎ去っていくのだと思う。
簡単に全てが過去になる。
それでも私は、再びある日、突然やってくるであろう、あの気持ちのいい風に向けて、気合いを入れて生きていきたい。
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