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3Dプリンタで顕微鏡を自作する

そして今や,私たちは,物質のひとつひとつの小さな粒子の中にも,これまで全宇宙の中に数える事ができたのと同じくらいの多様な創造物を見ることができるのです。

Robert Hooke, MICROGRAPHIA, 1665 (板倉聖宣, 永田英治 訳, 仮説社)


この記事について
 この記事では、3Dプリンタを使って顕微鏡をつくりました。顕微鏡の設計・製作の過程をまとめました。




顕微鏡の仕組み

 設計に先立ち、顕微鏡のしくみについて簡単に説明します。顕微鏡の原理は以下の図のようになっています。

図1 顕微鏡の仕組み

 観察対象の試料に反射した光が対物レンズに入射し、さらに接眼レンズを通して眼に入るというのが基本的な光の経路です。

  1. 照明の光が試料に当たり、乱反射した光のー部が対物レンズに入射する

  2. 対物レンズを通過した光は、レンズから距離$${s'}$$の位置に、拡大された実像(中間像)を結ぶ

  3. この実像を接眼レンズでさらに拡大する。このとき、接眼レンズで見える像は中間像の虚像となる

 このように、対物レンズで拡大した像を接眼レンズでさらに拡大するため、顕微鏡の総合倍率$${M}$$は、対物レンズの倍率$${M_{ob}}$$と接眼レンズの倍率$${M_{ob}}$$を掛け合わせた値

$$
M=M_{ob} \times M_{oc} \tag{1}
$$

となります。

顕微鏡の結像方式
 光学顕微鏡の結像方法は、大きく分けて、有限補正光学系と無限遠補正光学系という2種類があります。現在、研究開発などに用いられる顕微鏡は無限遠補正光学系が主流ですが、この記事で作製した顕微鏡は有限系です。これは、無限遠補正の対物レンズは手に入りにくい上、高価なためです。一方、有限系は激安中華レンズがたくさん出回っています!



顕微鏡の規格

 一般的な顕微鏡には共通の規格が存在するため、多くの顕微鏡でレンズやパラメータの互換性があります。そのため、規格に適合したレンズを、規格通りに配置することで顕微鏡を作ることができます。
 
まず、顕微鏡を設計するにあたり、構造と規格について説明します。図2は有限系顕微鏡の規格について示したものです。

図2 有限系顕微鏡の規格

機械筒長 (Mechanical Tube Length):
 対物レンズの取り付け面(胴付)から接眼レンズの胴付までの距離。一般的な有限系の顕微鏡の機械筒長は160 mmです。有限系の対物レンズは側面に160と記載されていますが、これは機械筒長のことを表しています(図3)。また、無限遠補正の対物レンズには∞と記載されています。

図3 2種類の対物レンズの比較

 ちなみに、倍率の隣の0.40は開口数、0.17は厚さ0.17 mmのカバーガラスに対する補正、PLANは像面湾曲収差を補正したレンズという意味です。

同焦点距離 (Parfocal Distance):
 試料から対物レンズのレボルバ取付面(胴付)までの距離。普通の顕微鏡は、ピントを合わせた状態でレボルバを回してレンズ倍率を変えても、おおむねピントが合った状態が保たれます。これは、各レンズの同焦点距離が等しいためです。45 mmの規格のものが多いです。今回使用したレンズも45 mm規格のものです。

作動距離 (Working Distance; WD):
 ピントが合う位置から対物レンズ先端までの距離。一般的に、対物レンズの倍率が高くなるほど、作動距離は短くなります。



顕微鏡の設計

全体の設計

 ここまで細かい話を書いてきましたが、結局、対物レンズと接眼レンズを160 mm離して固定するだけで顕微鏡ができあがります。かんたんですね(もちろん、像の品質向上のためにはとてつもない努力が必要です)。
 ここからは、実際に作成する顕微鏡の設計を行います。図4は作製する顕微鏡の全体の構想です。

図4 作製する顕微鏡の3D組立図と断面図

 この顕微鏡は、対物レンズ、対物レンズアダプタ、チューブ、接眼レンズアダプタ、接眼レンズから構成されます。対物レンズと接眼レンズ、顕微鏡を固定する台は市販のものを使用します。そのため、作製する必要があるものは、対物レンズマウント接眼レンズマウントチューブ試料台です。設計は3次元CAD(Fusion 360)で行い、3Dプリンタで出力します。
 それぞれのパーツは、ネジ(Cマウント互換ネジ)で接続されています。これは、本記事ではやりませんが、パーツを組み変えて遊ぶためです。

各パーツの設計

 ここでは、3Dプリントするパーツの設計を行います。

対物レンズマウント

図5 対物レンズマウント

 対物レンズはレボルバにネジで固定されます。これには、多くの顕微鏡でRMSという規格のネジが使われており、ネジの呼び径が20.32 mm (0.8 in)、ピッチ 0.706 mm (1 / 36 in) です。今回は市販の対物レンズを使用するため、この規格のネジを3Dプリンタで作製します。

図6 3Dプリント用ネジ寸法(※注意: 正規の寸法とは異なります


 樹脂を熱で溶かして積層するタイプの3Dプリンタ(FDM)では、寸法の誤差があるため、規格通りの寸法でモデルを作製してもネジをうまく作ることはできません。そのため、3Dモデルは、印刷誤差を考慮して設計する必要があります。これには、ネジ山の高さを低くしたりすることで対応します。
 3Dプリンタの設定は以下のとおりです。このあたりは、使用する3Dプリンタに合わせた印刷設定の調整が必要かもしれません。

接眼レンズマウント

図7 接眼レンズマウント

 接眼レンズを取り付けるマウントです。接眼レンズの取り付け部分は、直径30 mmや22 mmのものがあります。ここでは、直径30 mmのものを使いました。

チューブ

図8 チューブ

 対物レンズと接眼レンズを接続するための鏡筒部分です。今回使用する対物レンズは、有限系で機械筒長が160 mmですので、対物レンズマウントの長さ10 mmと接眼レンズマウントの長さ30 mmを除いた、120 mmの長さの筒を作製します。

試料台

図9 試料台

 試料を載せたスライドガラスなどを置く台です。内部にLEDなどの照明を設置できるようにします。外からライトを当てれば問題なく観察できるので、必須ではありません。

3Dモデルのダウンロード

 設計した3Dモデルはこちらからダウンロードできます。


 設計は以上となります。ここからは実際の作製に入ります。



使用するもの

3Dプリンタ

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図10 3Dプリンタ (Creality Ender-3 S1 Pro)

 3Dプリンタは、溶けた樹脂を積層するタイプ(FFF、 FDM)方式のものを使用しました。今回使用したのは、Creality Ender-3 S1 Pro という製品です。機種に指定はありません(Anycubic i3 Megaでも作製できました)。


対物レンズ
 対物レンズはamazonなどで購入しましょう。下の写真のような、機械筒長160 mmの有限系の対物レンズを使用します。

図11 中華対物レンズ(4, 10, 20倍)

対物レンズに関する注意
 対物レンズを3Dプリント部品に取り付ける際、金属と樹脂が擦れてPLAの細かい屑が出ます。これが対物レンズに入ってしまう可能性があるので、高価な対物レンズは使用しないようにしてください(使用する場合は自己責任でお願いします)。

・対物レンズ選定について
 予算に余裕がある場合は低倍率に加え、高倍率レンズを買うと楽しめます。よくわからない場合は、下のGalleryの写真を参考にしてください。今回使用したものはこの記事の最後尾にリンクを貼ってあります。
 AliExpressなどの海外通販サイトで購入すると、配送に2週間程度かかりますが、国内サイトより安いです。また、国内サイトであっても中国から発送され、時間がかかるものがあるので、注意が必要です。

・共役距離 (Conjugate Distance)
 amazonなどを検索していると、対物レンズの商品名に195や185などの数字が記載されている場合があります。これは、共役距離(Conjugate Distace)のことで、試料から中間像までの距離のことです。一般的な有限系の顕微鏡は195 mmで、これは、

$$
{同焦点距離 45 mm + 機械筒長 160 mm - 10 mm = 195 mm  \tag{2}}
$$

を表しており、185 のものは、同焦点距離が10 mm短い、35 mmの規格であることを示しています。そのため、195規格の顕微鏡に185のレンズを付けても問題なく観察ができます。ただし、同焦点距離が短いため、185のレンズで観察した直後にレボルバを回転させて195のレンズに切り替えると、レンズとステージが衝突する危険があるので、注意が必要です。


接眼レンズ
 接眼レンズも同様にamazonなどで購入しましょう。倍率は10倍程度が一般的です。この記事では、取り付け直径が30 mmのものを使用しました。こちらも、3Dプリントパーツに取り付けるため、高価なものの使用は避けてください。

図12 使用した接眼レンズ(10倍、視野数20)


スタンド
 顕微鏡を固定し、ピントを調節するためのスタンドです。微動にはイマイチですが、USBマイクロスコープ用のスタンドがamazonなどで簡単に手に入ります。


照明用LED
 
サンプルに光を当てるためのLEDを用意すると、いい感じに観察できます。amazonで以下のようなLEDが4個で500円くらいで手に入ります。

図13 使う際は下のように金具を取り外したほうが便利です



作製

各パーツの3Dプリント

 モデルを3Dプリントしていきます。基本設定は、PLAフィラメント、ノズル径0.4 mm、積層ピッチ0.2 mm、サポート無し、インフィル10%、ノズル温度200℃で出力しました。
 プリント時にシーム(ノズルの吐き出し開始・終了位置)がネジ山の部分に来てしまうとネジがスムーズに入らなくなります。そのため、シームがモデルのスリット部分となるように確認が必要です。Ultimaker Curaを使う場合、Z seamの設定をUser Definedとして、Back(図のy方向)に設定するとうまくいくようにスリットを配置しました。

図14 スライサソフト(Ultimaker Cura)におけるシーム位置の調整
図15 シーム(seam)の設定。赤枠内を変更し、シーム位置を後ろ側に集中させる。

 設定後、プリントしていきます。時間の節約のため、対物レンズ、接眼レンズマウント、チューブをまとめてプリントしていきます。個別に印刷しても構いません。今回の設定では約5時間かかります。気長に待ちます。

図16 プリント中
図17 プリント完了

 続いて、試料台の方もプリントしていきます。こちらはそこまで精度が必要ないので、レイヤーピッチ0.3 mmでプリントできます。

図18 試料台のプリント

組み立て

図19 全パーツ

 パーツが準備できたら、組み立てていきます。まず、各ネジが正常に使用できることを確認します。樹脂パーツ同士の場合、無理やりねじ込むとネジが破損するため注意が必要です。

図20 3Dプリントパーツの組立

 3Dプリントパーツを接続し、対物レンズ、接眼レンズを取り付けます。これをスタンドに取り付ければ作業は完了です。LEDの電源を入れ、試料台の中にセットします。

図21 完成!

 あとは、観察したいものを試料台に乗せてピントを合わせましょう!



観察

どのくらいの範囲が見えるのか?
 実際に観察するとき、「この倍率の対物レンズ、接眼レンズを使うと、どのくらいの範囲が見えるのか?」という疑問が出てきます。顕微鏡の視野の直径は、接眼レンズの視野数 (FN: Field Number)と対物レンズ倍率$${M_{ob}}$$から、以下の式で計算できます。

$$
\phi_{FOV}=\frac{FN}{M_{ob}} \tag{3}
$$

今回使用した接眼レンズは視野数FN=20ですので、これを式(3)に代入して計算すると、おおむね以下のようになります。

対物レンズ4倍 -> 20 / 4 = 5 mm
対物レンズ10倍 ->  20 / 10 = 2 mm
対物レンズ20倍 -> 20 / 20 = 1 mm
対物レンズ40倍 -> 20 / 40 = 0.5 mm

 視野を確認するため、ガラススケールを観察しました。下の写真はスマートフォンで撮影しているので肉眼とは異なりますが、肉眼で観察してもおおよそ計算通りの視野となっていました。スケールの最小メモリは0.1 mmです。

図22 各倍率の対物レンズ使用時の視野。(a)–(d) 対物レンズ倍率 4–40倍(最小メモリ0.1 mm)
*接眼レンズの上からスマートフォン(Xperia ace)で撮影したため、肉眼とは異なります。

 この顕微鏡は、試料を透過した光を観察するため、そのままでは不透明なものは観察できません。不透明なものを観察する場合は、次の図のように外側から試料表面に光を当てるようにすると観察できます。照明用のLEDを使うと便利です。

図23 不透明な試料の観察(なぜかステンレススケールを観察している)

 


Gallery

 様々なものを観察した画像です。画像はすべてスマートフォン(Xperia ace)で撮影しました。

1000円札。野口英世の右目。
(対物レンズ: 4倍、総合倍率: 40倍、視野直径: 約5 mm)
10円玉の平等院鳳凰堂
(対物レンズ: 4倍、総合倍率: 40倍、視野直径: 約5 mm)
OLFAカッターナイフ
(対物レンズ: 4倍、総合倍率: 40倍、視野直径: 約5 mm)
1000円札のマイクロ文字
(対物レンズ: 4倍、総合倍率: 40倍、視野直径: 約5 mm)
ティッシュペーパー
(対物レンズ: 10倍、総合倍率: 100倍、視野直径: 約2 mm)
不織布マスク(IRIS healthcare)の表面布
(対物レンズ: 10倍、総合倍率: 100倍、視野直径: 約2 mm)
不織布マスク(IRIS healthcare)の内部フィルタ。特殊ナノファイバーとのこと。
(対物レンズ: 10倍、総合倍率: 100倍、視野直径: 約2 mm)
コルク。細胞の名残が見える。
(対物レンズ: 20倍、総合倍率: 200倍、視野直径: 約1 mm)
ディスプレイ(白を表示。macbook)。ドットの形状はメーカやデバイスごとに異なる。
(対物レンズ: 20倍、総合倍率: 200倍、視野直径: 約1 mm)
ディスプレイ(赤を表示。macbook)
(対物レンズ: 20倍、総合倍率: 200倍、視野直径: 約1 mm)
歯磨き粉(花王、クリアクリーン)を水で薄めたもの。10 μmほどの顆粒が確認できる。
(対物レンズ: 40倍、総合倍率: 400倍、視野直径: 約0.5 mm)
口腔上皮細胞。無染色。
(対物レンズ: 40倍、総合倍率: 400倍、視野直径: 約0.5 mm)




おわりに

 ロバート・フックがミクログラフィアを書いた時代から350年以上が経過した今日では、知識を含めたあらゆるものがインターネットを介して手に入ります。さらに、3Dプリンタがあれば、想像をすぐに現実のモノに変換できます。なんでも手軽につくって遊ぶことができる良い時代だと思いながら、私は現代のテクノロジーで遊び、日々楽しんでいます。
 そんな中、顕微鏡をつくり、身の回りにあるものを観察すればするほど、顕微鏡という装置の巧妙な仕組みや、私達の身の回りにあるモノの緻密さにおもしろさを感じ、これを共有できればと考えたことがこの記事を書いた理由です。
 だいぶ長い記事になってしまいましたが、これを読んで頂いた方に私の感じたおもしろさが少しでも伝われば、それに勝る喜びはありません。

2023年7月




参考文献

1. Robert Hooke, Micrographia: or Some Physiological Descriptions of Minute Bodies Made by Magnifying Glasses. With Observations and Inquiries Thereupon, 1665

2. Robert Hooke著, 板倉聖宣, 永田英治 訳, 「ミクログラフィア 微小世界図説」, 1984, 仮説社

3. 顕微鏡を学ぶ, オリンパス ライフサイエンス

Olympus公式サイト内の顕微鏡の仕組みや使い方についての解説。顕微鏡の原理や使い方がとてもわかりやすく解説されています。
(Olympusさん、こちら、書籍化していただけないでしょうか。出版されたら5冊くらい買います。お願いします。)

4. 桑嶋幹, よく分かる最新レンズの基本と仕組み 身近な現象から学ぶレンズの科学と技術, 2020, 秀和システム

5. 牛山善太, 「光学設計」の基礎知識, 2017, 日刊工業新聞社



その他情報

対物レンズについて

 ネット通販で中華対物レンズがたくさん売っています。しかし、この値段でそのスペックはあり得ないだろ…という怪しいものもあるので注意してください。参考までに、リンクを貼っておきます。

Aliexpressで買うと安いです(ただし、配送に2週間以上かかります)。


あると便利なもの

 なくても問題ありませんが、あると観察に便利なものを挙げています。

スライドガラス

カバーガラス

ガラススケール
京葉光器(LEAF) ガラススケール S-100
最小メモリ0.1 mmのガラススケールです。https://www.yodobashi.com/product/100000001001969862/


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