はずって何?

私は実は
カレーが嫌いだった

子供なら大好きなはず!

はず?
はず?
そうやって
私を変わり者扱いするのね

当時の私は
捻くれ者

誰かと同じなんて
嫌で仕方なかった

私の着てる服は
母の手作りだったし

誰も持ってないような
筆箱を持ちたかった

流行りなんて
おっかけない

へぇー!
何これ?
どうやって使うの?

そんな風に言われるのが
嬉しかった

幼稚園の頃
仲良しだった子も
いわゆる「変わった子」

変わった子、は大人が勝手に言ってただけ

私はなんとも思わなかった

その子はあまり喋らなかった
その子はいつも一人だった

私はひとりぼっちのその子のそばで
話しかけて、一緒に遊んだ。
その子はあまり喋らなかったけど
そばにいても嫌がらなかった。
私にとっては同級生の一人
特別な子でも、変わった子でもなかった。
周りの反応がどうだったか、覚えてない。
ただ、その子と遊ぶのが楽しかっただけ。

とあるお祭りで
私は二人の耳の不自由な子に出会った
ポストカードを販売していた
一生懸命に手話で話しかけてくる
だけど、私はその手話が全くわからない
すると、その子も必死に声を出してきた
ぽ、す、と、か、ど、を、

私はポストカードを2枚買うことにした。
いくらか聞くと
指を2本たてて、口を動かした
ひゃ、く、え、ん

私は100円玉を渡そうとすると
ものすごい勢いで一人の少女が現れて
おっかない顔で
高速手話を始めた

どうやら、2枚で100円は安い
と怒ってるようだった
私がもう一枚、100円玉を渡そうとすると
いらない、いらないと首を振り、
指を刺して、は、や、く、い、け

いいのかなと思いつつ、歩き出した私に
彼は微笑んだ

この出来事があった後、
高校の志望校は絶対、あそこだ!
あそこしかない!と確信を持った

その高校には
手話同好会があったのだ

絶対、受かって入ってやる!
そう思っていた。

この頃、母から意外な話を聞いた

前述した同級生のお母さんの話だ

彼は、早生まれのせいで、
みんなの中に入れずにいたので
私が見つけると「遊ぼ」と言われるのが
嬉しかったのだそうだ。
母は、「うちの子がお節介して」というと
「幼稚園が嫌だったのですが、〇〇ちゃんが誘ってくれるようになってから行けるようになったんです。ありがとうございました」

私はそれを聞いて
お礼なんて要らない
私は一緒に遊びたかっただけと言った

多分、彼は今なら
発達障害と診断されたかもしれない
今のように療育を受けれたかもしれない
でも、だから?
あの頃は、あの時の彼は、
自分なりに精一杯生きていたのだ

高校に入り
私は手話同好会に入った

入って驚いた

にっこり笑う部長さんは
耳が不自由だった。

でも、なんとも思わなかった。
先輩は先輩はだし

話が伝わらないと
みっしりとノートに書いてくれた

ニコニコ笑う先輩が大好きだった
ちなみに女性

同学年の子にも
耳が不自由な子がいた

その子はあまり笑わず
無表情だった

その子はある日、学校に来なくなった
私は心配になり、その子のうちに言った

「聞きたくない事があると補聴器外しちゃうの」

お母さんは言った

私は、学校においでよ
何があったか、わからないけど、
夢があって入った学校でしょ?
…と半ば押し付けぽい事を言ったと思う。

彼女は無表情のまま、私を見つめていた

学校おいでよね、待ってるからね

私はそう言って帰宅した。

彼女の家に行き、お母さんに初めてあって感じた事。
「障害」を可哀想だから、なんでもやってあげてる、感じがした。
彼女のお父さんは確か、会社の上のクラスの人であまり家にいないみたい、
お姉さんは優秀

お母さんの「障害があるから」がひしひしと感じられて、居心地の悪さを感じた。

数日後
彼女は学校にきた

私は喜んで
「よかった」というと
無表情な顔で
「この間、来てくれたから、」と
彼女なりの精一杯の気持ちを言ってくれた。

人と違うことは
可哀想な事なんだろうか?
私は昔から思っている

障害は辛い事かもしれない
手を貸してあげなきゃいけない事もある

だけど
可哀想なんて言っていいのだろうか

可哀想というのは
上から目線

怪我をして
痛そうなら
可哀想に痛かったでしょ?

とはなる

だけど
障害に関してどうなんだろうか…

少なくとも
私は可哀想とは思わない
大変だろうな、と思う事はあるけれど

私が出会ってきた障害がある方達は
みんな「可哀想」じゃなかった
「大変」そうだったけど。

これはすきなはず
可哀想なはず

はず、って何?
その人を見れば、はずは要らなくなる

その人の障害に向き合う姿を見れば
「可哀想」なんて言えない

私はむしろ
その姿に「勇気」を貰っている

私は気づくと
障害のある方がそばにいた
だからわかるのかもしれない

同じ人間なんて
この世にいないと

私はカレーが嫌いだった。
だけど
食べれるようになった。
受け入れられるようになった

「障害」も少しずつでいいから
受け入れられるようになって
みんなが笑える社会になれたならいいね

因みに、この同好会の顧問担当教諭は
LGBT、だったと卒業した後、聞かされた。

私の周りには個性あふれる人がたくさんいた。だからこそ、違和感なく、過ごせているのかもしれない。

長文すみません
最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?