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何かを得れば必ず何かを失う当たり前

ふと気づいたら、モンステラがすごいことになっていた。


まるで怪獣のようだ。

この秋は芯を止めて、縦の伸びを切り詰めなければと
思ってはいたが、すでにその秋になっていた。

体調不良でゆったりと回りの景色を味わうなどしているうちに
時の流れはあっという間に過ぎて行ったのだ。

(植え替えをしなければ)とは思うものの、
今日はゆったりと家事にいそしみ、お昼寝もする予定なので
モンステラのお世話など、一仕事なので何もしたくない。

しかし、ポトスもダラダラとその葉をみっともなく伸ばしていて、
葉の色をみるといかにも、
「私は水だけでなんとか頑張って生きています」と
私に恨めしく話しかけているような気もする。

(時の流れが残酷だな)と思う時は、
たいてい何かを得たとしても別の何かを失っている時だ。

それは大昔から決められた天の道理なのかも知れないと思う。

二度目の出産時は弛緩出血と言って、大量の出血で少し危なかった。

あとで思い起こしてみた時に、産院のスタッフの皆は
スムーズに阿吽の呼吸で動いていて、どこかキビキビすぎて、
ホッとしたあとの人間らしい会話がぎこちない感じがした。

ようやく輸血の処置が始まっても、
出産後の気持ちの高揚が事実を覆い隠してくれたように思う。

子供を孕んだ妊婦は普通の人間とはちがうところに感覚があるし。

すべてが腹の中の赤ん坊が中心なので、自分の体のことなど
何も考えられなかったというのが正しいのだと思う。

「なぜ輸血するんですか?」と家族が問い詰めても、
大仕事を終えた後にはそんな疑問が頭をめぐることはなかった。

退院後に母子手帳に書かれた血液量とともに「弛緩出血」と
記載されたことに「危なかったのね・・・」といとこにシミジミされ、
短絡的な私は寿命も短くなったのではと不安になった。

体重から割り出す全血液量の1/3が無くなると危ないというではないか。

「男はそうよ。だけど女は強いのよ。
実際半分無くなっても簡単に死なないから大丈夫」
と、当時手術室勤務の看護師の友人が力づけてくれた。

それでも肝炎の投薬治療は必要だった。

日にちが経って人間らしく戻って行ったけれど、
この輸血後肝炎に悩まされることになる。

「肝臓の病気は怠け者病だ」と例えを聞いたことがあったが、
普通に洗濯や掃除をしたり、家事をこなしていると
夕方になると熱が出てぐったりとしてしまう。

だけれども不思議なことに体を横にして休めば、
けろりと治ってしまうのだ。

投薬治療は産後すぐから続いた。

幸い一時的なものだったが、献血も出来ない体にはなったし、
その後フィブリノゲン問題が全国紙をにぎわせた時も、
保健所に出向いて検査もした。

厚生労働省は、製薬会社が昭和55年から平成13年2月までの間、フィブリノゲン製剤を納入したとしている全国6933件の医療機関名の公表を行いました。特に、平成6年以前に同製剤を投与された方々は、C型肝炎ウイルスに感染している可能性が一般の方より高いと考えられています。フィブリノゲン製剤等を投与されたか、その可能性がある方で、今までに肝炎ウイルス検査を受けたことの無い方は、一度は検査を受けることをお勧めします。

フィブリノゲン製剤等による肝炎問題について:新宿区 (shinjuku.lg.jp)


投薬治療はほんの一年で終わり、その後悪夢のような
怠け者病とは縁が無くなったが、絶不調からの体調が良くなってきたことで
あの頃の苦労もまた思い出していた。

健康になったつもりであれこれ頑張ってきたけど、
「ペースを落としなさい」「回りを良く見なさい」というような
神様のアドバイスなのかなぁと思えてきた。

あの産後の退院ののち倒れてしまい、
生後20日程度の娘を母に預け、小さな医院に入院することになった。

その間毎日のすべてはもやがかかったように見えた。

今でも覚えているが、母も一緒に泊まり込んだ日だったのか、
個人病院だったので早朝からやってきていたのか、、、。

私の傍らに一ヶ月にもならない娘が寝かせられていて、
東向きの窓からまぶしい朝日が輝いていて、
その太陽を真向に顔に受けてその輝きを目を凝らして見ていると、
もやにかかっていた視界が、
まるで薄紙を剥がすように徐々にクリアになっていった。

クリアになった視線の先に赤ん坊がニコニコと私を凝視していて
(なんて可愛いんだろう)と感激した。

その時から私の生活が蘇ったのだ。

不思議な感覚だった。

それまで赤ん坊らしきものが視界に入っても、
ただの背景の小道具のようなもの以外には感じられずにいたからだ。

生まれた赤ん坊の可愛らしさを味わえずにいたことの代わりに、
大きな感動とともに新たな母性を与えられたのかなと思った。

何かを無くす代わりに、何かを得るということは、その得る何かの方が、
私にとって必要なことなんだろうと納得することにしている。

(植え替えしなくても死なないから大丈夫よ)と、
家の中のモンステラやポトス、ドラセナ、ホンコンカポックに
言い聞かせて回った朝だ。私は今日もしっかり休養する。


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