双極性障害と私
アラサー、女、地方暮らし、Fラン4大卒、現在は完全在宅勤務で正社員。
あとついでに双極性障害も持ってる。
結構ジェットコースターのような私の人生を聞いてほしい。
幼少期からの、"普通じゃない"違和感
普段は調子がいい。テストで100点、優等生、先生に褒められたい!褒められたい!その一心で読書感想文は人の3倍書いた。一心不乱とはこういうことで、狂ったようにとにかく動いた。
しかし突然やってくる「それ」にも気づいていた。突然不安がやってきて、2時間も3時間も涙が止まらなくなることがよくあった。自分の心に何が起きているのか、自分でもわからない。
そのまま過呼吸を起こして授業中に救急車で運ばれるなど、日常生活に支障をきたすこともあったが、まあ学生だったため見過ごされていた。
特に中学生。 人間関係も複雑だった。いろんなことを我慢しては、下手な形で吐き出し、より複雑化する。
それでも、家族や教師からは「ただの真面目で感受性が強い子」として認識されていた。
だが、心の奥底では自分が「生きづらい」ことを感じ取っていた。
嵐の予兆
バイトを始めたり、社会人としてのキャリアをスタートさせると、私の内面の問題が次第に表面化してきた。
特に20代前半、エネルギーが溢れ出し、無理なプロジェクトに複数手を出した。しかし集中力が続かずミスを連発。
さらには普段は仲良くしている先輩に口答えして叱責を受ける。自分で開いた風呂敷が、畳切れないくらい広がり、散り散り、バラバラになった。収拾が付かなくなってしまったこの状況に、限界点に達してしまった。
ある日、仕事中に過呼吸を起こし、病院に運ばれることに。
どうやらこれが体の問題でないことなんかは、もう既にわかっていた。過呼吸で病院に行っても、少し時間が経てばなんでもないですね。で終わるんだ。
発作が起きて、少し点滴を打って、家に帰らされて、数日間は動けなかった。これが鬱かな、と精神科へ向かった。何度か問診があって、双極性障害と診断された。
ただの鬱ではなかったことに少しびっくりしつつ、一方でようやく自分の状態が理解できたという安堵感もあった。
これまでの答え合わせをする様に、過去を振り返った。
初めて勤めた会社を辞めることになった時の心情は複雑で、未来に対する不安とともに、どこかホッとする自分もいた。
終わりの見えない休暇期間
会社を辞めた後、終わりの見えない休暇期間が始まった。経済的不安もあり、自分の存在意義について考えすぎてしまうこともあった。
自分が壊してしまった人間関係や、失ってしまった仕事に対する罪悪感も計り知れなかった。
自己肯定感は地に落ち、生きる意味は完全に見失った。実家に引き戻され、この時期げっそり痩せて30キロ台になった。
鏡を見るとオバケが映っていて、骨がゴツゴツいろんなところに当たるので、どこもかしこも痛かった。お尻でさえも肉を失い、椅子に座るのが辛かった。
と、この期間、障がい者手帳の手続きを行った。医者からはゆっくり休んでくださいね、何もしなくてもいいんですよ、あなたのために。と言われたが、当の私は手帳を取得することで、自分がただ怠けているのではないという証明が欲しかった。
セカセカキビキビと全て自分で手続きを行なった。めんどくさい書類も全て事細かに書いた。今思えば軽躁状態だった。
まるでゾンビが働いているような感じだ。
這い上がりの一歩
そうこうして手帳を持ったことで、町役場の福祉課の方から案内があり、利用できる福祉サービスを知ることもできた。
手帳取得後、軽躁状態からの鬱が襲ってきて数ヶ月。あ、と思い出した様に町営の福祉施設に通い始めた。
発達障害、境界性パーソナリティ障害、軽度知的障害、認知症、ありとあらゆる障害のバラエティパック的なこの施設では、他の利用者との交流や、社会福祉士とのカウンセリングを通じて少しずつ自分の形を再認識していった。
しかし、社会復帰への道のりは険しいもので、体調や精神状態が安定せず一般企業で働くのは難しかった。
そんな時、社会福祉士からの勧めで就労継続支援B型という選択肢に出会った。
就労継続支援B型は、基本的に障害や難病を持つ方が自分のペースで働ける就労支援施設だ。
私はPCを使った仕事がしたかったのでリモートワーク可能なB型事業所に通い始めた。
支援員の手を借りながら軽度な事務作業をこなし、少しずつ社会復帰へ向かう。
朝起きれないとか、本当にそんなレベルからのスタート。朝起きれなかったんで休みます。を何日減らせるか。
実務なんかより、そういった体や逃げようとする心との戦いだった。
社会福祉士や、B型事業所の支援員の声掛けの甲斐あって、少しずつ自分の体力を取り戻していった。
自分らしく働いてやる
そんな風にB型事業所を利用させてもらいながら、自分の体力・精神力の強みや弱みを理解し、本格的に完全在宅正社員として企業に雇用されることを目的に挑戦し始めた。
就活はかなり苦戦した。
障がいを隠すか、否か、から始まり、新卒の会社を早々に辞めて、ブランクのある能力のない自分を、一社会人として雇ってくれるところはそうそうなかった。
本当に70社位は平気で落とされた。
立て続くお祈りメール、10を超えたあたりからもう開き直っていた。
いくらでも道はあった。
どこかのコンビニのアルバイトやパートで食っていくことだってできたかもしれない。
でも、この休みの期間に外に出られる体力、人と向き合う体力が自分には不足しているということに折角気づいたのだ。
障がい者雇用という道もあった。
B型就労より少しだけ条件が厳しくなる、A型就労という道もあった。
でも、自分は自分の力でご飯が食べれて、迷惑を掛けた家族に安心してもらいたかった。
完全在宅で、正社員。
在宅ワークは体調や精神状態に左右されにくく、自分のペースで働けるというメリットがある。
これをどうしても変えたくなかった。だから70社に応募して、落ちても辞めなかった。
この時の自分も軽躁状態だったが、この必死さがなかったら、今の働きやすい環境を手に入れられることはできなかったと思う。
双極でよかったと思うことだって案外あるもんだ。
今は無事にEC業界の企業に就き、仕事を貰い、障害と共存しながら自分らしい働き方を実現している。
フルフレックスなので、自分の時間で作業ができる。ありがたいことに上司や同僚にも恵まれている。
業務に関しては数字と向き合い、程よいストレスを感じながら、不器用な自分を操縦させて前に前に進んでいる。
結果が出ない日もあるが、他の道を模索するのも楽しいと思えてきた。昔の自分にはなかった、心のあそびがある。
双極性障害を抱えるあなたへ
私と同じ障害で、苦しんでいる方がいたら、きっと「今」調子が悪いだけ。と伝えたい。
大失敗をたくさん、真っ直ぐに顔を合わせられない人がたくさん、もしかしたら病気とか関係ないかも。私も、誇れる過去がない。気まずいこと、まだまだ沢山ある。
ただ、この先の道は覚悟を持てば自分で選べる。もう無理だの先に、ちょっといいことがあった。絶望は繰り返すが、いい気分もそれなりにある。
私は完璧ではないが、毎日を納得しながら生きている。 私たちの使命は、バランスなんか考えず、希望に従って生きることだと思うのだ。
鬱を味わった私だから、これは言ってもいいと思う。
必死に頑張ろう。私も仲間だ。
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