技術屋の心眼 について
2017年の土木学会誌を読んでメモしていました。
どなたか土木関係の技術者さんの寄稿からの抜粋だと思います。
世の中が便利になっていく動きは、有史以前からの人の歴史とイコールの歩みですよね。
工業技術の社会実装による変化について、最近は次のように定義されているみたいです。
インダストリー1.0 1770年頃の蒸気機関によるいわゆる産業革命
インダストリー2.0 1900年頃の電気活用と流れ作業による生産性向上
インダストリー3.0 1970年頃からのコンピュータによる電算システム化
インダストリー4.0 高度な自動化による省人化・無人化
インダストリー1.0より前にも狩猟から農耕・栽培へのシフト、山を削ったり、荒れ地を開墾したり、河川の氾濫に対して人工的に対策するとかの技術革新は数え切れないほどあったわけです。
輸送手段だけに着眼しても徒歩、牛馬、車両、船舶、飛行機と歴史の中で現れる色々な新技術と共存してきたのが、人間という生き物と思います。
新技術に対して、一般の方より触れることが多い(あるいは早い)のが技術者という立場の方です。
技術者には一般の方より高い倫理(モラル)も必要でしょうし、その技術を使うことでのメリットだけではなく、デメリットの認識も必要と思います。
職人と呼ばれる方も、技術者の枠中に入ると思いますが、便利なツールで失われるのが職人の技のように思います。
ロストテクノロジーなどと呼ばれる失われる職人の技。
その損失は全人類の(生活の)進化の総和を考えると、ゼロに等しく些細なものなのかもしれません。
役目を終えて眠りにつく必然なのかもしれません。
ただ長年をかけ、たくさんの技術者が世代を超えて編み出したものが水泡に帰すというのは、何だか淋しい気もします。
それも人の特性、気質かもしれませんね。
この寄稿?の著者は、技術が進歩しても技術者がなくしてはならないものを「心眼」と呼んでいます。
「こだわり」、「心意気」、「技(術)」あるいは「健全な価値観」、「技術者魂」、「認識」や「意識」とも呼べる気もします。
「AI(人工知能)」について聞かない日はない最近です。
それは人の暮らしや社会に、きっと新しい便利さをくれるでしょう。
効率化は絶大かもしれません。
でもね、それで失いがちなものは確実にあると思います。
感性とか、第六感とか、心眼とか…。
それらを有していることは、有機的な身体と意思を持った生き物、人間であることの証拠のようにも感じるのです。
人型ロボットにはない、人間の持つパラメータ。
この先、どんな未来が来るのでしょうね。
そこに人の「心眼」がきらめく場面はあるのでしょうか。
余談ですが、「機動戦士ガンダムUC」という作品が好きです。
作品のテーマは、"技術と人の関係"のように感じます。
進化した人の感性や第六感を、先鋭化した技術の結晶である兵器が駆逐する。
しかし…、というストーリーは秀逸です。
進化した人、ニュータイプ理論の先には何があるのでしょう。
…と、話が大きく脱線、飛躍するのも人のサガと思います。