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適応障害と、会社を辞めないという選択肢について⑧会社は辞めない編

こんにちは。
富永晶子(トミナガアキコ)です。
歯並びは昔から良い方です。

【登場人物】 

・私の上司、通称狛犬 

・プロジェクトの女性リーダー、通称般若


体調を壊すまで働き、頑張りも評価されない会社ですが、
私はそれでも辞めないと決意したキッカケとなった父からの「ぜったいに辞めたらあかん」という
言葉について書きます。

①はこちら⬇︎〜お仕事紹介編〜
https://note.com/a___omo_a/n/ncfa1c2a4160a

②はこちら⬇︎〜診断直前の業務編〜
https://note.com/a___omo_a/n/n90ea56f2ae83

③はこちら⬇︎〜体調不良編〜
https://note.com/a___omo_a/n/n0448a019ee8d

④はこちら⬇︎〜狛犬からの言葉編〜
https://note.com/a___omo_a/n/nf308e3e4ec6c

⑤はこちら⬇︎〜いざ、精神科へ編〜
https://note.com/a___omo_a/n/nec8b57ee68f8

⑥はこちら⬇︎〜休みます宣言編〜
https://note.com/a___omo_a/n/nd7ba63d44a37

⑦はこちら⬇︎
https://note.com/a___omo_a/n/n1759a661278a



「今のできていない業務を洗い出して、他の人にやってもらえないか上司に伝える。
今の仕事が手につかなくても、またできるようになるかもしれない。休んでもいいし、少しの間ゆっくりすればいい。
けど、辞めたらあかん。辞めるのは最終手段や。」と父は私に言いました。


なんで、私ができないということを上司に言わにゃならんのだと反発しました。
私が体調を崩したのは、仕事のできない人の分まで仕事をしたからで、
私の仕事を誰かにしてもらうなんて、急に辞めた前任たちと、立場が同じになってしまうではないか。と
4年間、少なくとも同期と比べて何十倍も仕事をしてきたという自負があった私にとって、
「あぁ、あの仕事できなくて、辞めた人ね(半笑)」と囁かれる人たちと同じになるなんて、プライドが許しませんでした。

けど、④でも書いたように、手につかない業務がどんどん膨れ上がり、誰かに迷惑をかけてしまうかもしれないという恐怖は常にありました。


自分ができないということを認める。



全く気が進みませんでした。
しかし、「このままではいけない、何とかしないと」と内心、すごく焦っていました。
現実に向き合うべく、転職活動のサイトを見るのはいったんやめ、
父から言われた通り、狛犬に業務ができない旨を伝えるため時間をもらいました。
④で書いたことは、父のアドバイスを受けてのことでした。
嫌味は言われましたが、
他の人に業務をしてもらうことは、可能との返答でしたので、その時には、ずいぶんと私の心は軽くなっていました。




つづく







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