#76「どうしたの?」と自分に声をかける
見て見ぬ振りをし続けた結果
苦しみはどんどん大きくなりました
過去、私が大きなネガティヴを感じていた時、向き合うことが苦しかったです
認めたく無い
考えたくない
誰かのせいにしたい
誰かにどうにかして欲しい
楽に幸せになりたい
私は見て見ぬ振りをし続けました
本当はわかっているのに
本当は違ってわかっているのに
それでも蓋をしました
苦しい気持ちを抑えて、抑えて
ネガティヴを選び続けました
結果,私はまるで自分が塵のような存在に感じました。塵です、あのゴミの塵。
言葉にすると確かに
「生きてる意味がない」
「死んでしまいたい」という日本語になりますが、感覚的には「塵」でした。
自分は小さく小さく
何もかもが怖くて塵のような
生きている意味なんて一つもないと感じていました
塵になるような場所に居ました
塵になってしまうような場所に居ました
だけど、そこから
離れようとは、しませんでした
なぜなら「塵になる」感覚より
さらに苦しく怖い感覚があったからです
「無」です
何もなくなる
私には何もない
怖い、1人で立ち上がれる気がしない
成し遂げられると思わない
頑張れるわけがない
それなら、それなら…
塵のままでもいいから
ここに居続けよう、ここで…ここで…
本当は塵になることは望んでいませんでした
本当はなんだってできるのに
ネガティヴから見える世界がそうさせていたとしても、信じることが怖かったのです
自分を信じることが出来なかった
怖かった
見て見ぬ振りをし続けた結果
どんどん苦しみは大きくなりました
社会が怖く見えました
平等じゃない
私はこんなに苦しんでいるのに
誰も何もわかってない
みんなバカだ!
それから数年経ち
ついに自分と向き合うことを決心しました
約2〜3年かかったわけです
しかし「向き合う」と決めた私は
意外にもあっさりと
塵になる場所から手を引けました
嫌だったのです、本当は。
自分が幸せになれない空間にいることが。
見て見ぬ振りが悪いわけではありません
私だって見て見ぬふりしていました。
見て見ぬ振りをしているつもりがない時にも気持ちも
見て見ぬ振りをしている…と分かっている!と感じながら
それでもやめない、やめられない気持ちも十分わかります
しかし、見てみぬふりをし続けた時より
はるかに、自分のやりたいことの多くを選ぶことができて
もちろんのごとく、何か苦しいことや辛いことに悩む日も
非常に少なくなりました
何より、もう見て見ぬふりを自分のためにしないと誓ってからは
何か少しでも嫌なことがあれば、すぐに自分の気持ちを見つめます…
今どんな気持ちを感じているかな
寂しいかな…寂しいなら何で寂しくなったかな?
寂しいと一言で言っても、いろいろな寂しさがありますよね
まるで世界にひとりぼっちのような寂しさ
暗く深いトンネルにいるような寂しさ
ネガティブを感じた時はこのようにすぐに見つめます。
何を感じて、苦しくなっているのか?
見て見ぬ振りをして、蓋をするわけではなく
じっくりと、見つめる。
「どうしたの?」と自分に問いかける。
どうして欲しいのか、どうしたいのか
いつも、私の心の中に、答えがあります
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