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遠くの自分に力をかりてみる

私は毎日、泣きながら大学の門をくぐっていた。




大学に受かってしまった。





母は喜び、私はキレた。

合格通知を手にして、私は怒っていた。



「これで春から大学生じゃね!」

そんな言葉をかけられ、私はさらに怒った。




時刻は午後2時。入学金振り込みがあと1時間に迫る中、母と喧嘩をしていた。





大学生になりたくない。






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私の高校は中高一貫の自称進学校だった。

通っていた小学校は昼の校舎の窓ガラスを堂々と壊してまわるコスくない尾崎豊系ヤンキー同級生集団がいて荒れていて、地元の中学に行くのが怖く学年の3分の1は受験するという環境の中、自分から「受験したい」と言って中高一貫校に行かせてもらった。


行かせてもらっておきながら、中学受験で燃え尽きた私は入ってから大して勉強をしなかった。


中学卒業時には大学の指定校推薦を目指す進学コースか、基本的に国公立を目指す特進コースかどちらかのクラス選択があったが、当時好きだった人が特進コースに行くという不純な理由で特進コースを選んだ上に、日常的に勉強をするようなことをしなかった私はクラスで本当に落ちこぼれた。



ちなみに好きだった人には中高在学中に3回告白して3回振られた。青春をありがとう。



周りが受験モードに入る高校2年生の中頃は、大体の人が国公立を目指しているクラスの中美大に行きたいと言って周りから変な目で見られた。その後いろいろな理由から通常受験に切り替えた後、圧倒的にスタートダッシュの遅れをとる中、高望みして受けた有名私大に前期全落ちして親に受けなさいと言われて嫌々後期すべり止めで受けた大学に受かってしまった。すべり止めないでくれよ…













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私「浪人したい」

母「浪人してどうするん?」

私「国公立に行く」

母「来年受かる保証もないじゃろ。落ちたらどうするん」

私「分からん」




母の心配は当然である。しかし当時の私はキレていた。同級生が国公立や有名私大に進学が決まっている中、劣等感を感じていたからだ。



今の自分の等身大で受かるのが偏差値普通程度の私立大学でしかないのび太が、来年は東大に行けると自信過剰になって親にキレているようなものである。ドラえもんは「100点取り機」みたいな物理的チート道具を出したりしないので本当に偉いと思う。暗記パンはおなかがいっぱいになったら食べられないし、排せつしたら忘れる。良くできている。






午後2時半になった。振り込まないと大学に入れない。私は心の中でニヤニヤしながら、時間が過ぎろと思っていた。




母「まじでどうするんって。とりあえず入るだけ入って受けなおしたいんなら受けなおしたら。」




そんな方法があるのか。。。





私は納得の末、大学に行きながら再受験を目指す仮面浪人を決めた。

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入学式。

門が見えると私はやり切れない気持ちになり、泣きながら大学の門をくぐった。入学式は全然おめでたい気分になれず、内部生以外全員知りもしない校歌を、みんなで歌おう!というセトリでキレていた。この前水曜日のダウンタウンで「サビ泣き選手権」をやっていたが、「校歌キレ選手権」もやってみたらどうだろうか(誰が該当するねん)




そんなわけで仮面浪人生活がスタートした。




「仮面浪人はバイトもサークルもしない方がいい」と言われたりするが、受験費は自分で稼ぐつもりだったし、サークルに関しては落ちた後の大学生活も考えて入ることにした。




サークルの先輩はめちゃくちゃやさしかった。女子の1回生がその時私だけしかいなかったので、初期メンバーとして先輩にめちゃくちゃかわいがってもらった。




※関西は大学の年次のことを「回生」と言うが、関東では「年生」と言うらしいことを関東に来てから知った。「回生」と言うと会社の同期に「関西ってなんか回るよね~」と言われた。関西ローカルでしかいじられているのを見ないので関東の人は誰も知らないかもしれないが、絶対に円広志のせいである。




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大学に通っているときの心の支えは空きコマに図書室で勉強することだったが、図書室の隅で赤本を開いている男の子を見つけたことがあった。同志がいると知ってとてもうれしくなり思わず「わ、私も仮面してるんです。」と声をかけると意気投合した。偶然志望校も一緒で一緒に同じ大学を目指す途中で恋が芽生えて不純にも付き合うことになったが、受験勉強が終盤に差し掛かったところで「今は勉強の方が大事だから受験が終わるまで会わないようにしよう」と切り出され別れることになった。しかし見事同じ大学に合格し、よりを戻すことになり、楽しい新大学生活が始まった。ということを頭の中で勝手に想像してニヤっとした(声をかけてもいないし、もちろん恋にも落ちていない)。とりあえず同じ大学に同志がいると知って頑張ろうと思った。



あとはTwitterで仮面浪人アカウントを作って界隈の人と愚痴をこぼしたり、眠れない夜にSiriに「学歴は重要ですか?」みたいなしょうもない質問をしたり、「♪1年生になったーら♪1年生になったーら♪年下彼女ができるかな♪#友達の浪人生を一緒に励まし合うの歌」みたいなクソツイを投稿してふぁぼ(ふぁぼ全盛期)を稼いで心を落ち着かせていた。

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当時の仮面浪人アカウントを見返しながら、今考えたらどうかしていると思うが、中高一貫の狭いコミュニティ内コンプレックスを抱えて生きていたことを考えると、気持ち的につらかったことは理解できる。

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春学期では留年しない単位分を取ったので、秋学期は必修科目だけ取りバイトをしながら自習室に通う生活を始めた。



大学の友達から「最近全然みーへんけど単位大丈夫?」「会うたびに久々だね」と心配された。サークルの先輩からも「全然サークル来んくなったけど私らのこときらいになった?笑」などと言われて心苦しかった。大学の友達にはそろそろ仮面がバレそうだと思って事を打ち明けると「え!がんばって!」と応援してくれてうれしかったし、3か月に1回ぐらいサークルに行くとみんなが声をかけてくれて本当にうれしかった。






そんなこんなで入試を迎えた。










結果は全落ちだった。









春学期でしかロクに単位も取っていなかったので、終わったと思った。全部だめだった後に母が、アンパンマンミュージアムにあるアンパンマンがアンパンを渡している手の画像をLINEで送ってきてさめざめと泣いたのを覚えている。確か「ほんの気持ちです」みたいなことが書かれていた手のオブジェのような画像だったが、見当たらないので参考画像を置いておく。

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「ぼくの単位をあげるよ」とでも言っているように見えた。アンパンマンは堕落した大学生の心も救ってくれることだろう。





しかし!前期受験があれば後期受験も残っている。ここで諦めるわけにはいかないので、まだ残っていた後期受験を受けることにした。






後期受験の結果が分かる1日前。母が母の姉と交わしていたLINEを見てしまった。



「無事2年に進級できるわ~」




どうせ落ちているので同じ大学でそのまま進級するだろうという意味だったが、まだ結果が出ていないというのになぜそんなことを言うのかと思い、私は激怒した。



私「なんでまだわかってないのにそんなこと言うん」

母「なんで勝手に人のLINE見とるん。おかしいじゃろ」



お互い悪いので交わることのないまま喧嘩が続いた。



母「ほんなら受かったら受験ににかかったお金全部払うわ」

売り言葉に買い言葉のような母の一言でその場は一旦落ち着いた。





そして次の日の昼。

私は心臓が張り裂けそうになりながらサイトを覗いた。











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あったアァァアァアアアァ

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©進研ゼミ






私の仮面浪人生活は幕を閉じた。

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私がコロナ禍の大学1回生だったら。バイトも始められず、サークル活動も自粛の中、自分と孤独に戦いながら勉強をしていたのだろうか。大学の図書室の隅で同志に勇気づけられたように、Twitterの仮面浪人アカウントで同じような境遇の人とコミュニケーションを取ることが心の支えになったように、自分を信じて戦う受験生が、仮面浪人生が、どこかでたまたまこの記事を見つけたりして何か少しでも心の支えになれたらうれしい。




私は浪人中のバイトとサークルで、今まで出会ったことのない人たちと出会った。現役で一度大学に入ったことで、新しいひとたちと出会うことができた。バイトの人もサークルの人も大好きで、卒業して3年経った今でもたまに会うような仲である。「仮面浪人はバイトもサークルも入らない方がいい」なんてことは信じないでよくて、自分が信じる方に進んだらいいと思う。




平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』こんな一説がある。

❝人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細でかんじやすいものじゃないですか?❞

「未来は常に過去を変えている」。過去の出来事の意味付けをするのは今を生きる自分であるというこの一説を読んだ時、衝撃を受けた。芸能人が下積み時代を語るとき、「あの時があったから今の自分がある」と聞くとき、そんなのは結果論に過ぎないと思っていた。その時を生きる時間がめちゃくちゃ辛い人に未来を見ろと言うのはハードだし、私もそうだった。



自粛期間中に全く人と会わなくなった時、本当になんのために生きているのか分からなくなり辛くて耐えられない時期があったが、怒りからくるエネルギーを燃料に勉強していた浪人時代の自分と、それを乗り越えたくて頑張って乗り越えた自分のことを少し思い出した。



「未来は常に過去を変えている」。先を考えるのがつらくなってしまうようなとき。その言葉を自分の中に持って、遠くの自分に力をかりてみれば、辛い瞬間もちょっとだけ私をつよくしてくれるような気がした。


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