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「境界知能」と社会の行く末

知能は正規分布する。
残酷だが冷徹な事実だ。
IQが100を優に超える層がいる一方で、IQ71〜85(境界知能)に相当する者は、割合でいうと全体の13パーセントにも上る

補足すると、かつて「知的障害者」の定義はIQ85以下であった。
しかしそれでは数が多すぎると、障害の基準そのものが改定され、「知的障害者」はIQ70以下となった。

しかしだからと言って、IQ71〜85(境界知能)の者が相当数存在するという事実は変わらない
定義上、「障害者」から外されたとは言え、彼らが日常で抱える困難は相当なものではないか。

金融リテラシー、メディアリテラシー、政治リテラシーなど、あらゆることに「リテラシー」が求められる時代だ。
「リテラシー」はもともとの意味である「識字能力」をはるかに超え、生活の至るところに過剰浸透している。
しかしその隅々まで行き渡ったリテラシーは、人々に「高い能力」を要求してやまない

あなたは税について詳しいですか?では、投資については?スマホを完璧に使いこなせていますか?

おそらく、あらゆる問いにイエスと答えられる人の方が少数派なのではないか。


これだけ求められる「普通」の水準が上がった時代である。
「健常者」といえども、テクノロジーの進歩や、ますます要求が増していく労働水準についていくのが精一杯ではないか。

そんな中、「境界知能」の者はどうか。
彼らの場合は、より一層状況が悪い。

率直に言って、IQ70以下の「障害者」は行政や周囲の人の支援などを受けやすい。
自分が「障害者」を自覚している場合はなおさらだ。
生活保護を受給したり、作業所で就労したりなど、人生を歩んでいく道も多々あると思われる。

一方、「境界知能」の者は非常に部が悪い。
まして彼らは見ための上では、全く「障害者」とはわからないからである。
一見すると「普通」に見える。
しかし、この高度に文明化・情報化した社会では、彼らは適応していくことに著しい困難を覚える。
その上、周りからのサポートを受けられないとしたら、彼らの苦悩はいかなるものか。


社会は確実に複雑化した。
それも直線的にではなく、指数関数的に。
しかし、生身の人間はどうか
人間の脳は、何十万年にほんの数ミリというわずかな単位で拡大してきた。
人間の適応についてもそうだ。
何世代もの遺伝子の伝達を通して、形質を獲得していくというのが生物として本来のあり方ではないか。

そのような人間のあり方に反した社会システムは、根本的に持続不可能なもののように感じられる。
人間を置き去りにしたシステムは近い将来、破綻を免れ得ない気がしてならない。