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老人ホーム就職(超ブラック)

写真は全く関係無いですが、お盆真っ只中ですね。

この写真は、きな粉をまぶした団子でお盆になると祖母が必ず作ってくれます。あと、枝豆がいっぱい入った盆汁。美味しかったです。

さて、本題に入ります。

高校卒業と共に介護福祉士国家試験もあり、無事に合格しました。進学を諦めた後、直ぐに就職先を探し、地元で1番給料の良かった特別養護老人ホームの面接を受け、無事に就職も出来ました。同じ科の友達も3人、同時就職しました。私以外の子達は、実習でその施設を訪問していましたが、私は実習先で選択していなかった為、就職してすぐから場所や、職員の名前、利用者さんの名前、何も分からず1からで、同期達は既に職員、利用者さんに馴染んでたのでかなりの出遅れ、劣等感がありました。また、先輩達に何で実習に来てないのに、この施設を選んだのか、聞かれ、『給料が良かったからです。』と普通に答えていました。それ以外、理由がありませんでしたから。

元々、私が就職した老人ホームは20代の若い職員が多く、高校の先輩もいました。私が配属された班は8人中5人20代で、皆仲良しでした。そして、その班の班長が女性だったのですが、"鬼"と呼ばれていた人で、みっちり教育されるのでした(笑)

そして、後に分かるのですが、地元の一般市民の人でも、噂になっていたぐらいの超ブラック施設でした。

利用者さんの平均要介護度は4.2。私が配属されたフロアは入居利用者数満床23名。その内、短期入所枠は8名。身体不自由だが、認知機能はまだしっかりしてる方が多かったです。。勤務体制は、早勤、白勤、日勤、遅番、準夜勤、夜勤と6形態あり、まずは入社して1ヶ月、昼勤帯に慣れることから始まりました。毎日出勤時間が違うから大変。また看護師も少なく、利用者さんの吸痰作業、胃ろうの準備、接続。ちょっとした医療行為もしなければいけなかった為、研修があったりとバタバタでした。そして前代未聞の職員不足で、入社2ヶ月目から準夜勤、夜勤共に3回だけ班長に付いてもらって独り立ち。2回目の夜勤で、オムツ交換の片付けに20分かかってしまい、それだけで、『15分に1回の巡視は徹底!片付けにそんだけ時間かけていて利用者に何かあったらどうするの!遅い!』と机を叩きながらブチ切れられましたw実際にその後巡視に行くと利用者さんがベッドから落ちて血塗れになっていました😭ヒヤリハット、事故報告書という書類があり、利用者さん自身の怪我でも見つけたら書かなければならない紙があるのでした…夜勤は9時間、仮眠、休憩なし、1人で満床23人朝まで見なければなりませんでした。

班長は、完璧主義、丁寧、利用者さんにも優しい、なのに仕事が超早い、誰も言い返せないような完璧な班長で、同じ質を求められ、そうなるように育てられました。ただ、利用者さんの服の裾が折れていたり肌着が裾から見えていたり、利用者さんとの喋り方、少しでも雑な事があればめちゃくちゃ怒られてました。利用者さん本意の素敵な介護士さんでした。記録や巡視は自分を守る為の物だから、一歩間違えたら、利用者さんが死ぬかもしれない、警察沙汰になる事もあると脅されまくり。めちゃくちゃ毎日何かで怒られていたので、入社1年目は地獄でした。毎日帰り道泣きながら帰宅していました。でも、入社半年ぐらいで先輩達にご飯に連れって貰ったり、新人は皆しごかれてるし、辛かったらいつでも相談しておいでと声をかけて頂いたり随分助けられました。月一で班長以外のメンバーでカラオケに行ったり、時にご飯に連れってもらって、アドバイスしてもらったり、職場の人間関係には恵まれていました。そのおかげで班長の厳しさにも耐えれました。そして、班長みたいな介護士になりたいと志すようにもなりました。

1年半ぐらいたち、やっと班長にも慣れ、仕事も完璧ではありませんが板につき、褒められる事も増え、先輩達ともしょっちゅうご飯に行き、仕事はキツく大変でしたが、楽しくなってきていました。

ですが、仕事がキツい、職員不足で無理が祟り身体を壊したり、鬱で辞めたり休職する人も増え、月の夜勤、平均4回のところを若手が優先的に代わりの夜勤に入れられる為、月に9回している時もありました。しかも、夜勤明け退勤上がりは8時半ですが、帰ると早勤が9時半まで1人になる為、ほとんどの方がトイレ介助やベッドへの移動介助が必要だったり、夜間の急変も多く、要食事介助6人とか、配薬も全員あり、とても早勤1人では全員介助は無理なのでサービス残業が普通でした。そして、夜勤明けが休み扱い、翌日には普通に早勤を入れられるのも普通。5時出勤はザラでした。

一般的な介護施設は基本16時間夜勤、仮眠、休憩ありの夜勤明け、翌日も休みが普通なのですが、私の会社は、準夜勤14時半から23時半、夜勤23時半から8時半と交代制夜勤で特殊でした。

とてもじゃないですが、どの勤務でも、勤務時間中に記録を書く時間なんて無く、キャパオーバーで1時間サービス残業なんて普通でした。また会議が月に2回あり夜の19時からで、その日が休み(例え希望休)でもボーナス査定に響く為、出勤しなければならず、月2回ぐらいしかまともな1日休みはありませんでした。また行事担当や、会議録記録担当等、色々あると休み返上で出勤しないと間に合わず。16時に終わってから23時まで準備に追われていた時もありました。給料はつきません。今思うとよくやっていたな。と思います。でも、それは入社当時の先輩達に助けられていたからだと思います。

~次に続く~





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