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部屋の広さは思考の広さ

「お前、覚えとけよ。部屋の広さは思考の広さなんやからな?」

兄がうちに泊まりに来て、部屋をみた瞬間に釘を刺すように言い放った言葉を、大の字で部屋の天井を仰ぎながら思い出し、絶望した。

外は焼けるような暑さで、命をかけた叫び声のような蝉の鳴き声が響き渡っている。そんな叫び声なんて上げる必要が全くないほど涼しい5.6畳1Kの部屋で、そのとき私はのんきに昼寝をしていた。
夢見心地な頭を玄関のほうへ向ける。玄関から部屋まで約2m。歩幅にして約3歩。この部屋は全てが3歩で完結してしまう。家を出るのも3歩、風呂へ入るのも3歩、ベッドに行くのも3歩。テレビ台、こたつ、座椅子、ベッド、冷蔵庫で8割は占めていて、残りの2割は私が大の字になったらぴったりと埋まってしまうほどの広さだった。四六時中換気扇が回る音がしているユニットバスには、無理やり押し込まれたであろうトイレが申し訳なさそうに斜め向きに入っていて、最初はなんだこの形と思っていたのにいつのまにかそれも気にならなくなっていた。

そんな物思いにふけりながらふと天井を仰いだ。

あれ、こんなに天井って近かったっけ?

その瞬間、兄の言葉が頭を駆け抜けた。
部屋の広さは思考の広さ。
当時はその意味が分からなかったが、その意味を直感的に理解し言葉を失った。それは私という人間の限界が見えた瞬間だった。

3歩で完結する世界にいる自分が当たり前になっていたから、自分の手に届く範囲のものだけで十分と思うようになってしまっていた。最近流行りのミニマリストとかを称して、自分の手に届かないものは最初から手に入れようとも思わず、自分の目に見える範囲だけで世界はできていると思い込めば、それ以上のものを望まなくていい。初めは違和感を感じていたものも、そこにぴったりとハマってしまうと居心地の良さを感じてしまっていた。

私はいつのまにこんな人間になってしまったんだろう。20代後半にしてこんなことを理解なんて、したくなかった。

冷房なんかじゃ冷えないはずの頭の中が、まるで冷水を浴びたかのように冷め切っていた。しばらくするとテレビから流れてくるアナウンサーの鼻濁音が次第に耳の中に入ってきだした。

引っ越そう、ここから。
もっと広い部屋へ。

床に縛り付けられていたかのように重い身体をどうにか持ち上げ、いつもよりも大きな歩幅で玄関へと向かった。玄関のドアを開けると、そこは冷房の効いた居心地の良い部屋とは真反対の、暑くて溶けてしまいそうな世界だった。一瞬出かけるのを躊躇ってしまったが、マンションの廊下からちらっと見えた空にそんな気持ちは吹き飛んだ。雲一つなく天高く突き抜けるように広がる空は、眩いほどに青く美しかった。

ファンファーレのように私を駆り立てる蝉の声たちに囲まれて、私は熱くて眩しい世界へと歩き出した。

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