ましろ

多趣味/高望みしがち/野心の塊/変人

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最近の記事

大げさに生きる

元々リアクションが薄いことは自覚しており、相手が反応に困らないようわかりやすく表現しているつもりだが、まだ足りないようだ。 いつもどこかで冷静を保とうとする癖があり、はたから見ると表情の変化が乏しいなどわかりにくいことに気づいた。 なぜそうなるのか理由を考えてみた。 ・良くも悪くも正直なため ・普段感情を揺さぶられるようなことがほとんどないため ・いちいち反応していてはきりがないと思っているため ・わざとらしいと思われるのではという先入観があるため ・笑いのツボやツッコミど

    • 尋常じゃない時間の感覚

      以前まで、休日なんて一瞬で過ぎていた。 今はその逆だ。 休日が長くて長くて仕方ない。 その理由を考えてみた。 ・休日以外が充実しているため ・無意味な情報を遮断したため ・話し相手がほとんどいないため ・生活リズムが乱れていないため ・必要以上に出歩かないため ・考えすぎるのを辞めたため

      • 無理矢理自分を安心させる

        気分屋な人は正直でわかりやすいが、気分がのらない時に断るセリフはどうも真意が見えない。そのまま言われたことを受け取るべきか、他の理由があり隠しているのか。 感情に振り回されるなんてごめんだが、今まで身近に気分屋な人がいなかった&ちょっと興味があるためつい考えてしまう。罠にハマってしまった。 今は敢えて相手への連絡を絶っているため今後のアクションが起こるまでがもどかしい。 ずっと考えていたことがほんの数秒で払拭されるものならそれまでの時間が非常にばかばかしく感じる。 マイ

        • 私を惑わす人

          一緒にいるとドキドキして楽しくて話題が尽きない。それでいてノリが良くて頼りになってオーラや存在感もある。ファッションも的を得ている。 ただ、休日に誘っておいて当日目前にキャンセルするのはいかがなものかと。 風のように現れ風のように去る人。 瞬間・本能・気分で行動する人。 面白いぐらい私には一つも当てはまらない。 でも、だからこそ、気になって目で追ってしまう。 今度は私が惑わせてみせる。

        大げさに生きる

          視野は広いと思っていても

          常日頃、視野を広く持って生きているつもりだ。 しかしそれは一個人の意見で合って、周りから見れば狭い世界観で生きている人と思われているかもしれない。 どんなに人が多い街にいても、実際関わるのはほんの数人。それに違和感を感じる。 一生に本当の意味で関わる人はそう多くないと思うが、それにしてもだ。もったいないと思う。もっと多種多様な人と関わり合いたい。 今からでも遅くない。

          視野は広いと思っていても

          一瞬のチャンスだったはず

          僅か3〜4秒の出来事でどれほど私の心が動いただろう。 後悔するならば、その一瞬の出来事に動揺して緊張してしまい、上手く対応できなかったことだ。 これほど、今年は“チャンスを逃さない〟をテーマに生きてきたにも関わらず。 一対一なら素直に自分を表現できるが、少しでも周りの目があると平然を装ってしまう。 結果、ポーカーフェイスに見られる。 返答するだけで精一杯で余裕がない証拠だ。

          一瞬のチャンスだったはず

          正解がないからこそ

          あることは運で結果が決まると分かっていても、実際不遇続きだと落ち込むし不安になる。 自分のやり方が間違っているのかと思う。 だからと言って手を止めるわけにはいかず、結果が出るまで淡々と作業をこなす。 いつかは芽が出るとしても焦る。 そんな時は、別の刺激が必要かもしれない。 でないと、例えば今まで視野が狭かったとしてもそれに気づけないからだ。 この大事な時に報われないと嘆きたくないが、やはり憂鬱なので喝を入れてほしくなる。

          正解がないからこそ

          期待していた反面

          何かに期待してそのために準備していたものが突如なくなる、あるいは違う方向に向かうとやりきれない。長期的な視野で計画を立てることだけが取り柄なのにそれが活かされないとは。 未来はある程度予測できるが本当の意味ではできないため、肩肘張らず楽観的になるもの良いのかもしれない。 それか、いっそのこと行き当たりばったりで何も考えず物事に臨むか。 一度その実験をしてもいいのかもしれない。

          期待していた反面

          普段の判断軸

          何かを選ぶ時、これが良いと思って即断即決するのではなく消去法で考える癖がある。 自ずと時間はかかるし優柔不断の原因となる。 消去法でいくつか候補が上がり、それをランキング順に並び替えやっと自分の中の一位が決まる。 直感で選んでも良いのだが、まだ全部を見ていないともっとベストな選択があるのではという思考になり、最善の最善を見つけようとする。 人生は選択の連続と分かっていながらこんな面倒なことをするのだから気疲れして当然。 それでも、まずはやはり全体を見通さないと気が済まない性

          普段の判断軸

          忙しい気持ちの整理

          1日で起きた事 ・飲みの誘い ・物理的な急接近 ・さりげないデートの誘い ・保険をかけた何気ない告白 ・ドンピシャな部分を褒められる ・何も言わず奢られる ・さりげなくツーショットを撮られる ・相手からの気遣う電話 ・私に時間とお金をかけてくれる宣言

          忙しい気持ちの整理

          誰と過ごすかで人は変われる

          私は自分と正反対の性格の人に惹かれる。 自分にないものを持っている人に対して羨ましいと感じ、もっと知りたくなる。 そして、そんな人と時間を過ごすと良くも悪くも良い刺激を受けるので、人生が好転するのではと勝手に思っている。 良い面としては、自分1人では思いつかないような考えや価値観に触れられること。 悪い面としては、個性が薄くなり自分が何者なのか分からなくなる恐れがあること。 相手から、自分のような人間に会ったのは初めてと言われ、世の中的に見てもそうだとする。ただ、そんな変

          誰と過ごすかで人は変われる

          全ては自分次第

          今運が悪い、恵まれない、不幸などと思っていても、全ては自身が招いた言動・行動が原因だと考えた。 そうして自分が選択した人生にも関わらず、こんなはずじゃなかったと不平不満が出るときもある。なぜそうなるのか理由を考えてみた。 ①そもそも自分で行動を選択しているという意識がないため ②不満を口にする事で無意識に責任逃れをしているため ③不幸と嘆く事で解決法が見つかると思っている ④現状維持で良いと思っている節がある

          全ては自分次第

          自分を必要としてくれる人

          何かに誘われる際に単にそのまま応じるのではなく、一度自分はそれに参加した方が良いか聞く。それで〇〇さんにはぜひ参加してほしいと言われれば喜んで応じる。いちいち質問するのも気が引けるが、やはり気分が全然違う。 例外で、明らかにただの人数集めと分かっていても楽しそうであれば参加するのだが。 存在感があると思われたいということではないが、私1人がいるかいないかでその場の雰囲気がガラッと変わるのであれば嬉しい。 というのも、自分は今まで良くも悪くも影を潜めて空気のように生きてきたと

          自分を必要としてくれる人

          失敗も美談に

          思いもよらぬミスで想定外のことが起きた場合、感情的になるのではなく失敗から学ぶことができたとプラスに考えるようにしている。そうしないと精神がもたない。 ただ、これを継続しようとするのも実際ハードだ。 なぜ冷静を保てるのか理由を考えてみた。 ・いちいち感情に振り回されていては本来の物事に集中できないため ・世の中を達観しているところがあるため ・代わりで補えばプラマイゼロと思っているため ・失敗を失敗と思わず、無理にでも楽しもうとしているため ・何事もないとそれはそれで退屈だ

          失敗も美談に

          報われないがそれでも

          決して手を抜かず、寧ろ周りと比べて人一倍真剣に物事に取り組んだ。しかし、今日は結果に繋がらなかった。 元々、結果が出るか出ないかは運によるところが大きいが、それでもこの報われない気持ちはどうすればよいのか。 ただ、チャンスを与えてもらった以上はどうにかして生き抜かなければならないので、あまり深く考えないのがかえって賢明なのかもしれない。 恋愛でも今日は空回りした。 以前特定の人に好意を示し相手にも気づいてもらえ、スタートダッシュは良かったが今日は何もなかった。もっと言えば何も

          報われないがそれでも

          後悔はしていないけれど

          ある物を買うのに通販ですぐ完結させるのは味気ないと思い、街に出掛け実際に見て買おうと思っていたが、ピンとくるものがなく結局通販で買った。 ピンとこなかったというのは、ハイブランドで価格帯が高すぎる、また、無難すぎる、そもそもの数が少ないなどだ。 そして、久しぶりの人混みに酔い、歩き回り、アイスのように固まったアサイースムージーで体が冷え、疲れはピークに達した。 こんなに労力を使うぐらいならと思ったが、後悔はしていない。月1・2ぐらいは敢えて人混みに混ざり周りを見ることで、自分

          後悔はしていないけれど