書評・エンターテインメントという薬
シェイクスピアの喜劇『夏の夜の夢』の終幕、悪戯好きの妖精パックが観客に告げる口上は有名である。
われら役者は影法師、皆様がたのお目がもし
お気に召さずばただ夢を、見たと思ってお許しを。
つたない芝居でありますが、夢にすぎないものですが、
皆様がたが大目に見、おとがめなくば身のはげみ。
私パックは正直者、さいわいにして皆様の
お叱りなくば私もはげみますゆえ、
皆様も見ていてやってくださいまし。
それでは、おやすみなさいまし。
皆様、お手を願います、パックがお礼を申します。
翻訳者会心の七五調もさることながら、興行を生業とする者の謙遜と希望を湛えたような内容が、今なお多くの人々に愛されている。
芸術や演劇は、必ずしも人々の生活に必要なものではない。歌や踊りが、豊作を神々に感謝した祭りの出し物であったように、まずそこが成り立たねば必要とされない。
本当にそうだろうか?
CX系のバラエティ番組『奇跡体験!アンビリバボー』でも取り上げられて話題となった本である。
筆者である松山洋は、ゲームファンなら一度は耳にするメーカー『サイバーコネクトツー』を率いるカリスマクリエイター。本書は終始松山氏の一人称で進行する、混じりっけなしのドキュメンタリーである。
新作ゲーム発売直前、松山氏のもとに電話が入る。そのゲームを発売する会社の幹部だ。彼は言った。
「週明け、国立がんセンターに行ってほしい」
現在の自分とはかけ離れたリクエストに、驚きを隠せない松山氏。委細を聞くと、ある少年が近日、眼球にできた悪性腫瘍のため、眼球を摘出し、全盲になることを余儀なくされたという。
彼が光を失うその前に望んだこと。それは今まさに松山氏をはじめとするメンバーが完成させたばかりのゲーム『.hack//G.U.』を遊びたいということだった。
だが手術の日は、ゲームの発売日の一週間以上前……。
松山氏は、相手の言葉を遮って答えた。
「月曜日の何時にどこへ行けばいいのかだけを言ってください」
松山氏と仲間たちの特別な3日間が、そして世界で一番眩い10年が、始まろうとしていた……。
これ以上書くと楽しみを奪ってしまうので、あらすじはこれくらいにしておこう。
ただ「TVでやってるのを見たからだいたいわかっちゃうしなー」と思ってる方がいるなら申し上げたい。TVでは描かれなかった、彼のそれ以前とその後を、ぜひ知ってほしい!と。
絶句を通り越して読んでて腰を抜かすような事件と、彼が乗り越えてきた日々の壮絶さ。そして何かを失った人間が得る何かの、寒気がするような素晴らしさを感じてほしい。そう願わずにはいられないのです。
冒頭の話の戻す。エンターテインメントは必需品か?それを生むものは無意味か?多くのクリエイターが一度は向かい合うことかもしれない。
しかし考えてほしい、もしそういうものが存在しなかったら、世界は生産と消費を繰り返すだけの、細胞の代謝のようなシステムでしかなくなる。
この世界を、あなたの人生を、守り進むべき価値があるものにしているものの中に、エンターテインメントというものはないだろうか。
影も見えない世界を宿命づけられた少年が、最後の光と望んだものは、本当に無価値なのだろうか。
作ること、遊ぶこと、出会うこと。あなたの日々の片隅にきっと突き刺さる、120ページのドキュメンタリー。
お気にとまれば皆様もお読みになってくださいまし。
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