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一月十三日  230113

 今日は3年前までわが家にいた愛犬ミントの命日です。膀胱に癌がありましたから11才と短い命。
ほとんどのお世話は妻がして私はいつも遊び相手だけ。散歩もいつも妻でした。
 ただ私が体調を崩し休職してからはリハビリ相手として散歩仲間。一年近くも付き合ってくれました。
とはいっても、最初の頃は私と散歩するのは徹底的に拒否され、なんとか慣れてくれるのに2ヶ月もかかってしまいました。

 しかし慣れてくれると、それはもう可愛いくて、公園に行って走り回り、丘に登り神社で御参り。神社ではたくさんお祈りがあります。息子が大学受験してくれますように、妻の病気が治りますように、愛犬ミントの膀胱の腫瘍が治りますように、私の病気が治りますように、家族でケンカすることなくみんな幸せになりますように、、。
もうたくさんのお祈りすることが日課です。

 私がうまく歩けないときは振り向きながらゆっくり歩いてくれるわけです。そこまで気をつかってくれる人なんかいない私には楽しく落ち着く時間でした。

 ところが、そんな愛犬ミントの癌がしだいに悪化を始めます。ゆっくりと歩くのはミントの方になり、ついには散歩のほとんどを抱っこして歩いていました。このミントとの散歩のおかげで私はリハビリも出来て、近所の方々と会話もできた。家族をなんとか繋げていたのはミントのおかげなんです。

 年末近づくともう散歩でのミントはほとんど歩けず抱っこのみ。年明けになると食事も取れなくなってなっていき毎日病院通い、点滴を打つ日が続きました。昼でも夜でも横になっているので息をちゃんとしてるか気にする日々です。

 そして3年前の寒い朝早く、妻の腕の中で静かに息を止めました。あっさりと息を止めました。
 急に亡くなったわけではありませんから覚悟はできていました。
「よしよし、えらい、えらい。すごいねぇ。えらいえらい、ありがとうねぇ」
妻はずっとそう言いながら、泣きながらさすり続けていました。体が硬直するのが分かります。
私ももちろん泣きました。
 私の親二人はずいぶん前に亡くなっていますが、その親の死とは別の感情として愛犬の死はもっともっと悲しかったのです。

 一方、妻はわずか一ヶ月前に母が亡くなっていますから、もう妻の悲しみは想像を越えていました。
 妻にとっての愛犬はぎりぎりの心を支えていた最後の命だったのです。それがこの時に全て奪い取られたような感じだったと思います。

 さいとう家、それまでの一年間も沼の中でかろうじて浮かんでいましたが、底がほんとうにない気がして先が見えなくなり、もがくような一年がはじまりました。
 それはおかづの存在すら知らない時です。おかづがやって来るまでもがいてましたから、約1年2ヶ月くらいです。

 特に多くの犬を飼っていたわけではありませんが、犬という、あるいはペットという存在がこれほど人の心に染み入り、私たちを支えてくれるとは思いませんでした。犬の本能に守られる感じでした。


 いつか、おかづが来るまでのことも残しておかないと忘れてしまうので書きたいと思いますが、、
どうも書けないことも多いからなぁ、、。

うーん…

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