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23.04.23 「一律」「平等」を疑う

・学童保育で、春休み中、学習は30分はやろうという目安が設けられていた
春休みなので学校の宿題はないが、毎日学習する習慣づけのために、とのこと
家から教材を持ってきたり、自分で考えた問題をノートに書いて来る子もいた

でも、5分10分で終わる子もいる
まだ30分やってないよとスタッフが声をかける
そこで、学童に置いてある教材をやる子もいれば、終わったからやらないもん!と言う子もいる
それを見て、あいつ5分しかしてないじゃん、ずるいと言う子もいる

それについてスタッフ間で、どうやったら30分やらせられるか?放っておいていいのか?他の子の不満はどうする?という話になった
結果、やらない子については保護者の方針を確認することになった
学習は家で見てるから学童保育では思いきり遊ばせてくださいという方針の家庭もあるしね、と
やらせてくださいと言う場合はやるように働きかける、それでもやらなかったときはそれも保護者に報告する、と

すごくモヤモヤした
その子が何分学習するかは保護者の方針で決まることなの?
その子が決めればいいんじゃないの?

・スタッフの声かけはあってもいいけど、そこで本人がやらないと言うならそれでいいと私は思う
声をかけて、できた子は花丸、だけで十分だ
全員を花丸に導くのが支援だとは思わない
全員性格も能力もその日の心身のコンディションも違うのに、できない子を一律にできる子の水準まで引っ張り上げようとしたって無理がある

ずるいと言う子が出るからやりなさいというのも変で、逆にずるいと言う子も終わらせてあげればいいと思う
その子もやりたくないことを嫌々やらされているからずるいと感じるのだ
5分の子も最初に自分で決めた分はちゃんと終わらせていること、5分ぶんだけ賢くなるか30分頑張っていっぱい賢くなるかはあなたも自由に選べることを説明すれば、ずるいとは言わないはずだ

学習をさせるのは保護者のためではない
他の子と平等に負荷を課すことが目的でもない
その子が自分のために、自分の気持ちや能力に合った学習をすればいいと思う

・全員に30分やらせる方法を考えるより、その子はなぜやりたくないのか、なぜずるいと言うのかを考える
一律の対応ではなく、1人1人の思いやしんどさを想像し、寄り添い、その子にとって今どんな関わり方が必要かを考える
30分やらせることがその子のためになるのか、やらせたいのは何のためかと、そもそもの前提から疑ってみる
私はそういう支援がしたい

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