The Movie Week -「この世界の片隅に」と「帝一の國」-

映画週間

今週は映画を見ました。
水曜日の仕事上がりで「この世界の片隅に」
土曜のレイトショーで「帝一の國」
特段そういう予定を立ててたわけではないですけど、映画強化週間になりましたね。

というわけで感想二本立てです。
今週も含蓄のあることは一切言いません。

この世界の片隅に


ここがスゴイ!

・画面構成力がすごい
画角っていうのかしら。絵自体は平面的なのに、見上げる角度で広さ、高さ、奥行きを表現する構成力がすごい。

・主役を見失うほどの均一な描写
街を広く映すシーンで、すずさんを見失う。キャラクターデザイン自体が派手じゃないとはいえ、仮にも主役を見失うことがそうそう起こりうるだろうか?(反語表現)
それを起こす…つまり、「物語の真ん中」ではなく「日常の片隅」に落とし込む作画力、描写力を持っている。
主役を重点にしないで、すべてを主役として描き込む。これはね、本当にすごいことですよ。

・絵と現実の混合描写
「ぼーっとした」とされる彼女がぼーっとしてないことを示す。感動の時も、現実逃避でも。
普段から似たような空想癖のある自分には普通になじんだけど、普通の人には新鮮な景色なのかしら。
気持ちを丁寧に言葉にせず(ぼーっとしてるからね)、心象風景で彼女の心を直接追体験させられる
小説でもあんな「世界を描け」るようになりたいと思った。

・声優さんがスゴイ
主演、のんさんは勿論、みなさんぴったりはまる演技だった。

・間諜の疑いあり
いろいろあって憲兵に目をつけられたすずさん。
「普通の物語」ならここから大事件になるんだけど、家族みんなが「そんなわけないじゃん!」と笑いのネタにしておしまい。
シリアスを日常の一コマに昇華したいいシーンだと思いました。

・空襲をめぐる姿勢
日常が非日常に(開戦)、しかしそれは日常になる(空襲慣れ)けど、また非日常に(自家防空壕作り、なんども警報)、そして日常に(警報あきた)
これも、日常の中で似たようなシーンを繰り返しながら一人一人の反応を描いて変化を示している部分。

・北條すず
「ほう(カキ)…じょ、う(カキカキ)……すず(シャシャッ)」
嫁入り後の記名で、慣れない苗字は時間がかかり、名前はさっと書ける。生々しい。

・鉛筆をあげる。
絵を描くのが好きなすずに、画材である鉛筆をあげる二人の男。なんだか象徴的。

・ラストワード「去年の晴美の服、こまいかねぇ」
恩師曰く、「最初に映ったものが作品の一番の核」。自分は逆に「最後の言葉が作品の核」だと考えます。(もちろん最初の画面も大事だと思うけれど)
戦火に死んだ娘の服を取り出して、母親の一言。死を不文律でも枷でもなく、意識するまでもない過ぎたこととして扱える日常を自然に表現していて、美しいと思った。

総評

とことん丁寧に作り上げた「日常」の名作。
普通の日常を、すずさんの心に沿って描くことで彩りを鮮やかにしている…けれど、あくまで日常。淡々、じっくりと広がって馴染んでいく日常の波、喜怒哀楽。
苦しくて、美しいと思った。

あと音響もすごかったので劇場で観れてよかったと思った。

一つだけ苦言を呈するなら、なんか劇場?の特別映像?とかで監督さんが開演前と終演後にコメントを言ってるムービーが入ったんだけど、あれは蛇足だなぁと。日常じゃなくて監督の手で生まれた虚構だなぁと冷や水かけられた気分ではありました。

でも作品自体は名作。観れてよかった。


帝一の國

時は昭和。
海帝高校に入学した少年、赤場帝一には野望があった。
「総理大臣になる」…そのために「生徒会長になる」こと。
揃いも揃った曲者、強者の海で政争に身を投じ、帝一は叫ぶ。

「僕は創る 僕の國を!」

ジャンプSQ.で連載していた同名漫画の実写化。主演は菅田将暉=サン。
時に熱く時にダーティな政争を、(本人たちにとっては)シリアス(だけど観客から見たらコミカル)に描く。

原作飛び飛びで読んでた程度です。

ここがすごい!

・役者がスゴイ
セリフも濃ければ行動もトンチキな部分が多い、いわゆる「シリアスな笑い」が旨味の原作。(場合によってはニンジャヘッズ諸氏も好きなんじゃないかな)
これを実写で、大真面目に表現して、かっこよく決まる。
役者さんがハマってなければ大滑り、って博打を打ちながら大成功まで持っていく胆力!演技力!恐ろしい。
誰の演技が~~って言いだすとキリがない!全員だよ全員!!
強いて一人に絞ると、駒は複雑な心境を言葉にも言外にも表現して巧いと思いました。

・脚本がスゴイ
原作だと大きく分けて1年生編と2年生編があった(はずだ)けど、本作のスポットは1年生編。無理やり詰め込まず、1年生編の中でもさらにエピソード取捨選択を行って丁寧に、濃厚に描写する姿勢は素晴らしい。
(夏の水鉄砲戦争は見たかったなぁ…と思うが、これやると恋愛要素絡むからしょうがないね)
1年生と2年生、すべてを収めると、それこそ前編後編になってしまいかねないのだけど、安易に二部構成にせずにきっちり焦点を絞っていった。
さらに1年生編終了から「戦いは続く!」ではなく、きちんと「2年生編の終わり」に繋ぐ脚本構成は輪をかけて見事。
ちょっと物語が飛びすぎて、芯が弱く映ってしまうかもだけど、そのあたりは原作を読もう!

・スポットがスゴイ
ではどのエピソードを切ったのか?恋愛要素である。
昨今は何かにつけて恋愛要素をピックアップするのが基本、だというのに、本作は真逆に恋愛が絡むエピソードを切っていく。スポットを政争に絞り、愛憎よりも友情をメインにした。
捉え方によっては奥行きがなくなったと言えなくもないが、それ以上に本編が濃密になったのだ!

・演出がスゴイ
ストーリー上で濃密になった分、役者も負けてはいられない。大掛かりな大舞台も小さな日常もすべてパワフル。音楽、カット、カメラワーク、間の取り方もすべて無駄なく繋がっている。テンポが良ければ面白さは倍増だ

・ラストトーク「その曲の題名は」
これはぜひ、劇場で観ていただきたい。
ゾッとする。

総評

原作の味を活かしつつ、実写だからこそ出来る迫力、圧力、動的な美を見せつける。一分の隙も無い、まさに「実写化の王道」
これ以上多くは語らない。早く見に行ってほしい。早く!
原作と円盤がほしい。

二作品を見て思ったこと。

どちらも漫画原作なんですよね、これ。
そしてどちらも「長い物語を大きくカットして再構成」している。

漫画原作である時点で物語としての出来は一級品だ。それを映画にするにあたってどう味付けするか?どこにスポットを当てるか?これこそが映画化の意義である。

「この世界の片隅に」は日常性、どこまで物語を平坦にできるか。同時に、日常の中の喜怒哀楽をどう鮮やかに表現するか。これらを画面構成と色彩表現でまとめ上げた。

「帝一の國」は実写のインパクトを活かし、大上段からぶった切るパワープレイ。そのためにとことん取捨選択をしていった。そして取ったエピソードについては徹底的に熱を込めて味を濃くしていった。
これがアニメでは出せない、生の人間の生の迫力というやつだろうか。
(逆に、生身の圧力を活かせるエピをこそ選んで使ったともいえる…?)

メディアの形態変換、メディアミックスの観点から考えると、「漫画」と「映画」の大きな違いは以下のとおりである。

動画であること
があること
大画面であること
文字が出ない(出しにくい)こと
2時間の制約があること

「片隅」は2時間の制約にかなり苦しめられていたようだが、一方を武器にしていた。空襲こわかった。
大画面も味方につけられていた。大きな世界、として外界たる街や自然を描いて、世界の片隅としての実感を増していた。

「帝一」は動き、音、大画面をすべて活かして迫力を出していた。男たちの政争を、心からの叫びを余すところなく表現するには、やはりこれか。
文字が出ない、つまり原作の名物だった力強い書き文字を封印されたわけだけれど、こうして焦点を絞りそのために武器をフル活用して出来上がった青春政争ムービーは、素晴らしい出来だった。

そういうわけで、メディアミックス時にはそのメディア間の特性の違いと何を表現したいのかをきちんと考えようという小話でした。

~~

小難しいこと言ってみたけど、もっとたくさん映画を見たい!小説も読みたい、書きたい!アニメも見たいしラジオ投稿もしたい!ゲームもしたいし舞台も観たい、立ちたい!!が本音デスネ。

ではでは。


太平洋戦争~昭和期の作品観たのになんでMovieWeekなんてタイトルにしたんだろ…?

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