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ご先祖様の血筋

先日、緊急事態宣言も解除され、母と久々のお茶会がとても興味深いお話になった。

昭和の時代、はフリーランスの編集者として働いていた。
当時としてはかなり珍しく、今も現役バリバリフリーランスである。
わたし以上に忙しい毎日で心配が尽きないこの頃だけど、働いている方が精神的に元気だと話していた。

母の母、わたしにとっておばあちゃんは子どもが大好きな、家庭的な人だった。記憶もない幼い頃から、忙しい母にかわってたくさんおばあちゃんと過ごしていたので、わたしはすっかりおばあちゃん子になった。あぁ、思い出したら、おばあちゃんに会いたくなった。

姓を継いでもらう為に、おじいちゃんはお婿さんとしてやって来た。

わたし「おじいちゃんがこっちに来るって、珍しいよね?」
母  「ううん、むしろ昔の方が多かったんだよ、名前の為に。おじいちゃんは末っ子だったから、本家的には問題なかったんだって。兄弟たくさんいたんだけど、全員に乳母がいて裕福な地主の家だったらしいよ」
わたし「裕福な地主!おばあちゃん、お嫁に行けばよかったのに…」
母  「本当ね、生活には困らないよね。でも時代が時代だったからね」


そして、おばあちゃんの母はおばあちゃんとは真逆の人で、キャリアウーマンだった。「加納屋(かのうや)」という料亭の女将、そして経営者として当時大活躍していた。おばあちゃんもお手伝いをさせられていたそうだが、厳しい環境に辛かったと話していたそうだ。その反動で家庭を守る女性におばあちゃんはなったのかもしれない。

そして、おばあちゃんの母の姉のお話になった。

母  「お姉さんはね、立花家橘之助って人でね…」
わたし「え?タチバナヤ?」
母  「あ、本当は石田って言うんだけどね。立花家橘之助っていう芸名で、三味線で有名な人だったんだよ」

わたしはiPhoneで早速「立花家橘之助」と調べてみると、なんだか凄そうな人がwikiに出て来た。

● 初代 立花家 橘之助 / 本名:石田美代 
(たちばなや きつのすけ /1866年7月27日 - 1935年6月29日)は、女流音曲師(女道楽)天才的な三味線の名手として知られる。おもに寄席で活躍。圧倒的な人気を誇る。落語家ではないのに、落語の寄席の主任(トリ)を常時とり続けた。異名として「女大名」「女公方」「淀君」「女帝」。2代目三遊亭圓橘の弟子。大師匠は三遊亭圓朝。父の名は石田良周(よしちか)で、田安家に仕える幕臣であったという。

顔写真を見ると、おばあちゃんにとてもよく似ていた。と言うか、母にも似ているし、わたしにも似ている。

母  「親戚に高村光太郎に弟子入りした人いて、誰か芸術系のお仕事をする人が出て来るんじゃないかって、おばあちゃん話してたんだよ」
わたし「そっか、子供の時は舞台とかお囃子とかやってたけど、見えない何かを受け継いだのかなぁ」
母  「ミュージカル出演した時は、おばあちゃん喜んでたよ。舞台って言えば、山田五十鈴って言う女優さんがいたんだけど、その人がね「たぬき」っていう舞台で立花家橘之助のお話を演じていたのよ」
わたし「なんかもう情報が渋滞していて、よくわからないけど、なんでたぬき?」

つかさず、iPhoneを片手にwikiを頼る。

山田 五十鈴
(やまだ いすず、1917年2月5日 - 2012年7月9日)は、日本の女優、歌手。本名は山田 美津(やまだ みつ)愛称は「ベルさん」
戦前から戦後にかけて活躍した、昭和期を代表する映画女優の1人である。時代劇映画の娘役を経て、溝口健二監督の『祇園の姉妹』で地位を確立。以来、優れた演技力で数多くの名作に出演した。1960年代以降は舞台女優として活動し、水谷八重子、杉村春子とともに「三大女優」と呼ばれた。代表作の1つである『たぬき』では立花家橘之助を演じ、浮世節を弾き語りして評判を得た。

わたし 「なんで、たぬき?動物が好きだったの?」
母   「浮世節たぬきっていうのが名曲だったから、そこから名前とってるんじゃない?」
わたし 「たぬきが登場するお話なのかな?どんな内容?」
母   「わからないな〜」

動物好きなわたしは「たぬき」ばかり気になって仕方がない。
検索すれば出て来るだろうかと、頼りのYoutubeを開く。


わたし 「あった!!
母   「ウォー!!

静かに聞いてみたが…

うん、全然わかんねぇ。


わたし 「何やら、男女関係が激しかったらしいよ…」
母   「あら〜そんなことまで載ってるなんて!プライバシーもあったもんじゃないわね」
わたし 「情事の翌朝、男に向かって「お前気を残すんじゃァないよ(のぼせるんじゃないよ、本気じゃないよ)、これでお湯(銭湯)にでも行っておいで」と言い、小遣いを与えた… (wikiより引用) そして、駆け落ちして結婚してる…」
母   「あらま!なんだかゴージャス…」
わたし 「うーん、子どもはいたのかな?」
母   「おばあちゃんのお母さんに、子どもが生まれたら養子に迎えたいって相談してたんだよ。でも、おばあちゃんは一人っ子でしょ?だから、それは叶わなかったの」
わたし 「そっか…」

女帝、女大名と呼ばれ、人気を妬まれて水銀を飲ませられたり、晩年は川の氾濫で亡くなってしまったという、なんとも豪快で波乱万丈な人生だった。現在、調べると2017年に2代目立花家橘之助として名を受け継いだ方がいる。
いつか「たぬき」を聞いてみたいし、ぜひお会いしてみたい。


現役バリバリ編集者として働く血は、経営に長けていた加納屋の大おばあちゃんから…写真や舞台でお仕事をしてきたわたしの血は、芸事に長けていた曾祖伯母の立花家橘之助から…この血が脈々と静かに次の世代へバトンが渡されていくのかと思うと、壮大な家系図を追ってみるのはロマンを感じるし、隠されたドラマに出会えてドキドキがとまらない。

そして、旦那の血が混ざって、お腹の中の子どもはどんな人生を歩んでいくのだろう。気持ちが溢れて、温かいお腹を両腕いっぱいに包みこみたくなった。次は、旦那さんにご先祖様のお話を聞いてみよう。お盆やGWに親族が集合するとリアルサマーウォーズ的旦那家の家系図は膨大な情報がありそうで今からワクワクしている。



ちなみに、トップの写真はたぬきじゃなくて、たぬきに似ているアライグマ…

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