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マイストーリー①


先生なんてみんな給料泥棒 

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「せんせ~、うちら日本人やし、なんで英語やらなあかんの?英語なんて使わんし。」


私が2002年から公立高校で英語を教えている約20年キャリアのうち、上のような疑問を生徒からぶつけられたことは数え切れないほどあります。

もしあなたが英語の先生で生徒がこんな質問をしてきたら、どのようにお答
えになりますか?


グローバル化社会で英語を使う機会が増えてきているから?
英語を話せたら世界中の人とコミュニケーションが取れるから?


そうですよね。
私もそう答えていた時期があります。
でも、今はこう答えています。


「ほんまそやな。実際、将来英語使う機会ほとんどないと思うで。」

生徒の“え?”という顔をみながら、私は続けます。

「でも、必修科目やし、受験でもいるし、どうせやらなきゃいけないならできるようになった方が得と思わへん?諦めずにやってみ。」

私の返答の短いバージョンはここで終わり。


なぜこう答えるか。
それは私が彼等の気持ちを痛いほど理解できるからです。
私も学生のころ、計算機があるのに何故数式を覚えて解かなければいけないのか分からず、シグマが出てきたあたりから数学の勉強を全くやりませんでしたし、他の科目でも“授業は嫌なことにひたすら耐えて忍耐力を養う修行なのだ”と思って受けているくらいでした。


もちろん、英語もそう。


「makeの過去形はmakedでしょ?だって先生、過去形には語尾にed付けるって言った。なんでmadeなの?」


そんな疑問もむなしく、不規則変化表をもらい、いつものようにひたすら暗記するよう告げられ終了。


勉強って面白くない。
授業って面白くない。
先生なんてみんな参考書読んでいるだけの給料泥棒や。


反骨心から始めた英語学習

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私の“分からない”はいつしか怒りに変わり、その怒りは“いつかこんな風に苦しんでいる生徒を助ける授業をしてやろう”、と考える原動力になっていったのです。英語という科目を選んだのはたまたまで、後ろから数えるほうが早い順位の成績の中でもましな方だったからというだけでした。


“maked”


から始まった私の英語学習でしたが、他のすべての科目をほぼ切り捨て、“英語だけは誰にも負けない”という勢いで勉強したお陰で、高1の終り辺りからスルスルと成績は上がりました。


高2で留学を決意。行先は“世界中どこでもいい”と希望を出していたので中国やインド、スペイン語圏の国に派遣される確率もありましたが、人気の英語圏、しかもアメリカに決まりました。

“16歳で1年間も家族と離れてアメリカに行くなんて、ホームシックにならなかったか。”とよく聞かれますが、答えは


“Not at all.”


もちろん最初は英語がまったく喋れなかったので、ホストシスターに意地悪されたり、全く友達ができずに一人でランチを食べたり、それなりに辛いこともありました。でも、アメリカでの生活で、私はそれまで日本で受けてきた色々な制約から解放され、心身ともに自由になることができたのです。


「またアメリカに来たい。私はアメリカに住む。」


そう決めて帰国しました。


日本語教師で夢実現

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アメリカに住むと決めた高校2年生の私は、

アメリカに住むためには日本人だから日本語を教えればいい

という正に安易な考え、だけれど物凄い行動力で日本語教師になるべく大学で言語学を専攻しながら専門学校で420時間の日本語教師養成講座に通いました。


なぜ日本人が英語の発音をうまくできないのか

なぜmakeの過去形がmakedでないのか


この辺の質問にちゃんと答えられるようになったのは日本語教師の勉強をしたおかげかなぁと思っています。


日本語教師の資格を取ってもアメリカで働ける保証はどこにもなく、青年海外協力隊なども含めて模索していたある日、なんと通っていた大学の掲示板に、アメリカの高校で日本語を教える2年間の期限付きの仕事の募集が貼ってあるのを偶然見つけたのです!


もちろん応募、採用していただき、大学卒業とほぼ同時にアメリカに住むという夢を実現させることができたのです。



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