他人の生き方をみて自分に問う
この話をあげようと思うのは、
ただ今の自分がそう思っているからというだけで
別に意味はない。
他人と自分を比較して優劣をつけるわけではなく、
“他人のステキなところを自分に取り入れて問う”
という過程が自分は好きでその話をしたい。
自分以外の誰かと密に関わることを
避け続けた子ども時代がある。
そうなった背景はまた後日に話すとして、
成人してもなお今でも他者とのコミュニケーションのとり方が歪で(自分がそう感じる)関係性がとれてない感覚や距離感がわからない状態が続く。
どうしたものかと悩んだ末に、
毎月新しい人に会い話すことで会いまくったら慣れるだろ!経験でしかない!
という考えから
誰かしらいる飲み屋に顔を出すようにした。
といっても、ただ訳の分からない飲み屋にいくのは
勇気がないため知り合いに教えてもらった場所で。
1年ほど続けて出会ったのは130人以上。
その中で覚えている人は、50人ほど。
関係が続いているのは20人ほど。
こういうものなのかとも思う。
もしかしたら上手な人は
いくらでも関係を続けられるのだろうけど。
おかげで初対面でも緊張しなくなった。
4人のzoomでさえ震えていたような私だったが。
慣れとはすごいものだなと。
飲み屋で出会って喋る。
何の仕事をしているのか、趣味、好きなこと。
別にそこに大きな意味はなく、
共通点があれば盛り上がるから聞いているだけ。
ただ話してみたときのその人が見せる言葉の使い方、
身の振り方、表情、そんなところをみている。
他人の生き方といっているが、
学歴や経歴、バックグラウンドはさほど重要視してない。
その人が見せる「仕草」「行動」「言葉」に
その人の生きてきたものが含まれている、
それこそ生き方だと私は思っている。
どんな過程で人格形成されてきたものなのかを見たい、
そこに興味がある。
他人の生き方をみて、どうこう言うこともなく、
自分が素直に素敵だと思ったことを取り入れるだけだが
なぜそれを取り入れるのか、なぜ素敵だと思ったのか。
それを問うことで自分の大事にしているものが知れる。
自己分析にもつながる。
店員さんから商品をもらったとき、
バスを降りる時に運転手さんに
「ありがとうございます」と目を見て言うという行動も、最初から出来たわけではない。
出来たら素敵だな。と私は思うがそう思ったのは、
それをしていた人がいたから。
自分の人格形成や生き方は、
他人の生き方から真似るものばかり。
だからこそ誰と過ごし誰と生きるかは大切だとも思う。
もちろん他人の生き方を否定する気もなく
全てを真似るわけでもなく怒る気もなく
それがその人なんだと受け入れることが前提にあるから
デリカシー無いのも一般的じゃ無いのも面白いと思える。
そんな認識が自分にはある。
他人の生き方をみて自分を問うことで
さまざまな価値観や考え方、
人間という生き物が一括りに出来ないこと、
こんなに面白い生き物がいるのかと知れて
これからも続くと思うと楽しみであり、
自分をアップデートする上で欠かせないものだと感じる。
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