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燃える感情と生まれる世界

クソみたいな世の中。私は私の首を、自分の手でしっかりと締めていく。いつだって私の道を邪魔するのは、私自身だ。

一度疑われてしまったことは、それがどんなに白くても、相手の疑心が消えない限り白にはならない。相手の疑心がどんな事実もグレーにする。だから冤罪はなくならない。私自身の行動も軽薄で、周囲に誤解もされやすく、多分黒に見えてしまう行いだった。過去の私は未来の自分なんて考えていなくて、今が楽しければオッケーで、けれど今がこんなに苦しくなるくらいなら、その頃の楽しみなんていらなかった。自分も他人も気持ち悪い。誰がどうしたとか、あの子ってそういう子じゃんとか、てめーら私の何を知ってんだ。私だって私のことを知らねえのに、それを分かった気になって話をしてるてめーらが私に教えてくれよ。私がどんな女なのか。私がどうやって生きてきたのか。私がどんな想いを抱えているのか。だけどそれは特大ブーメランというもので、きっと私も他人を知ったような気になって口を聞いている。あの人そういうところあるもんねとか、こんな感じだよねとか、誰も他人の真髄を分かるはずなんてないのに、傲慢に生きている。

暴食、色欲、強欲、憂鬱、憤怒、虚飾、怠惰、傲慢。全ての罪をクリアしてしまっている私に笑って生きる資格はあるのだろうか。私に限らず、そもそもきっと生きている人間なんてみんな同じで、全てに当てはまらずとも少なからず1つは罪を背負って生きているのではないだろうか。それなのに他人を評価して生きていて、悲しくも他人からの評価が自分自身へとなってしまう。他人が私を作っていることは分かっているけど、他人に私を作ってほしくなんかない。

どうせ全てどうでもよくなることだと分かっている。1年後にはきっと今の感情ごと忘れて生きているだろう。けれど私はこの瞬間がやりきれなくて、悲しみ、怒り、寂しさ、不安、憤り、全てをごちゃまぜに丸めた球体で動けなくなる。最近よく夢に出てくるあの子にもきっともう会えない。それも分かっている。分かっていることはたくさんあるのに、ちっとも理解できない。理性をもつ人間に生まれてよかったと思う瞬間だってたくさんあるのに、今は感情をもつ人間になんて生まれたくなかったと思う。理性がある分やめることだってできるのに、感情がある分私は野性的になってしまう。全てのことが気持ち悪い。誰も他人のことを傷つけたくないはずなのに、他人のことなんてどうだっていいはずなのに、どうしたって自分以外の他人に依存して生きていく。

海は今日の終わりを告げる。日を吐き出して、日を飲み込む。そんな単純作業のような世界が、時に憎くて愛おしくて堪らない。そんな今日に、私も終わって生まれていく。

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