【日常】わたしは無知に甘んじている
私は今年21歳になった、新参者の大人である。
そんな私は、最近までセイロンティーという紅茶の存在も知らなかった。
国民年金がどのような意図で納付すべきなのかすら不確かであった。
何が言いたいかというと、要は21年間、『何も分かっていない』ことを分かっていなかった、のである。
自分で言うのも何だが、生まれてこの方何不自由なく生きてきた。
『普通』に義務教育を終え、『普通』に進学し、『普通』に大学に通っていた。
但し、ここで言う『普通』は、疑問を持つことなく、ただ敷かれたレールを進むことを指す。
学生という身分にも終わりが見えかけている今、ようやく『普通』に対しての疑問を持つようになった。
最近の、新型ウイルスの流行、政治問題、金銭的問題、著名人の自殺等、、
紛れもなく短期間にあらゆる事が起きたことがきっかけだ。
問題が起き、身近に感じるようになってから、自分の『普通』が無知で形成されていたことに気づいた。いや、気づかされたのだ。
物事には必ず理由がある、と高校の歴史の授業で学んだ記憶がうっすらある。
今回起きている問題全てにもそうであるのだろうか。
ウイルスに関しても、感染症であることや世界で流行していること、それによりあらゆる場所で苦しんでいる人がいることしか知らない。
政治に関しても、国単位で動いていることと、都道府県単位で動いていることに違いがあること、現政府には様々な疑いがかけられていること、また不要な動きがあることを漠然としか知らない。(この情報もまた間違っているのかもしれない)
その他、補助金の問題や誹謗中傷、著名人の人権に対する問題、SNSでの言論の自由
この世界、いやこの日本で起こっている問題は想像以上に多いはずなのに、
私はその一部のガイドラインさえも詳しく分からない。
分かろうとしていなかったのだろう。
一応、学校では教えられることはしっかり学んできたつもりだ。
でもそんなもの、最低限人間である為の知識以外
何の役にも立てられていなかった。
知識と現実をかけ離してしまっていたのだと思う。
自分の生きる今を知ることは、この地球に生きる上で必要不可欠であるというのに
わたしは無知であることに、なんの迷いもなく、ただ『普通』であることに甘んじていたのだ。
我々若者(と言ってももう立派な大人だが)は、教えられること・強制されること・興味のあることだけをやる癖がある。
それは時に、この世の中を知らぬ間に変えてしまうことにも繋がると思うと、怖かった。
今、私にできることは、無知を恥じることでなく、今を知っていくことだと思う。
どうか、今この世の中で起きていることを知り、
より多くの若者を中心とした人たちが
当事者意識を持って、生きていけるようになればと願う。(私もまたそうならなければ、、)
そしてまた、我々がこの水掛け論のような世の中に終止符を打てればと思っている。
先程は世の中などと大それたことを言ってしまったが、
どうか中立的な立場で、今起こっている日本政治について
しっかり把握できる方法をどうか教えて頂きたい。
複雑化しすぎてよく分からんのや。
誰が悪くて何がいけなかったのか。
総理大臣の疲弊した顔が、どうしても気になる今日この頃。
分からないを無くすことから始めようと思いました。
長くなりましたが、今日はここまで。
どうか、皆様の明日が笑顔でありますように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?