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あなたに花束を

「アルジャーノンに花束を」という小説のタイトルは多くの方がご存知だと思うけど、実際に読んだことがある方が圧倒的大多数という訳じゃないのかな、と思って久しぶりにnoteを書いています。
「アルジャーノンに花束を」を読んだ読書感想文のような、ただの自分語りのような、そんな記事になります。

過去の記事でわたしは精神科閉鎖病棟の事を書きました。

わたしがこの記事を書いた後に「アルジャーノンに花束を」という本をわたしは読みました。わたしは後天的な精神疾患のため境遇は違うけど、同じ生きづらさを抱えている人が物語の主人公で、大変心を揺さぶられる素晴らしい作品でした。
少しネタバレになるかもなのでネタバレ厳禁!な方はお戻りください笑


この作品はサイエンスフィクションなので実話に基づいたお話ではないのですが、現実に起こり得そうなお話だなあと思って没入感を持ってさくさくと読み進められました。
障害に関わららず生きづらさを抱えている人にはとても感動するお話だと思うので、ぜひ気になる方は読んでみて欲しいです。

さて、この作品にはとある施設が出てきます。それはいわゆる障害者の保護施設のようなもので、いわゆる現代日本における閉鎖病棟に近い場所なのかな?と読んでいて思いました。
ただ唯一違うのは、この施設には鍵がかけられていたり柵で囲われていたりしないところです。


作中ではこんなふうに表現されていました。

ここで生きている人はここでしか生きられない。だから閉じ込める必要もなく、仮にここを出て行ったとしてもここへ帰ってくるしかない。

あくまでわたしなりの解釈といいますか、わたしなりの言い回しなので多少ニュアンスが違うかもですが、ざっくりいうとこんな感じ。
でも、同じだとわたしは思った。少なくともわたしがいた閉鎖病棟にいた人たちは、そこでしかもう生きられない人たちだったから。

境界線をなくすことを美とする昨今の風潮、わたしはいけすかないです。
知らない世界があって当たり前、理解できない世界があって当たり前、それを壊してしまおうという世論がとても恐ろしい。
境界線をなくそうとすればするほど、きっと溝は深まるばかりで、マイノリティは淘汰されるばかり。
生きづらい人が生きやすくなるためにどれほどの犠牲を必要とするのか、それならばわたしはこの生きづらい世界でひっそり生きていく方がいい。

どうかそっとしておいてほしい。
でなければせめて救われて欲しいと思う。

かくいうわたしも何かとマイノリティな立場であることが多いです。生きづらいです、こんな世の中。だけどこんなわたしが変えようとも、こんなわたしのために変わって欲しいとも思わない。
わたしは結婚したくも子供が欲しくもないし、パートナーが異性でなくても構わないし、正規雇用もろくにできないぱっぱらぱーな訳で、自分がまともな人間とは自分でも思ってないし、だから家族にも頼れない世間のはみ出しものだとも思う。
だからこそマイノリティをいちいち救うような徒労より、よっぽどマジョリティが健全に生を全うできる世界の方がわたしはいい。

あの世界とこちらの世界はたぶん交わらない方がいい。それぞれがあるべき居場所で全うすべきなんだと思う。
だとしたらわたしは、とても中途半端だな。あっちにいさせてもらえなくて、こっちはとても生きづらい。居場所が最初からなければ諦められたのかな、なくしてしまうことはとてもつらいから。
知らなければ幸せだったってこともよくあることで、だから境界線はこの世界にあるべきで、見えない壁ってやつはあちらこちらに散りばめられてる。

囲われていない分、もしかしたらこちらの世界の方が正常ではないのかも。

いろんなルールや制度がこの世界にはたくさんあって、そのいくつかはさまざまなマイノリティの人にとっての最後の防衛ラインだったりするのです。
一番厄介なのは、知った気になってる、何も理解できていない人。そういう人たちに限って居場所をたやすく奪ってしまうものです、悲しいけれど。
この世界から誰も居場所をなくしてしまうことのないように、誰かに居場所を脅かされることのないように、ただ穏やかにみんなの時間が過ぎればと思う。

わたしもこの世界から消えることになったら、その時に花束を贈りたい誰かがいて欲しいと思う。

悲しくも愛おしい、胸が苦しくてあったかい、そんなことを思わさせられる作品でした。
アルジャーノンに花束を、おすすめです。ぜひみなさまも。


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