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カトマンズからランタンへ。麓の町・シャプルベシに泊まる(ランタントレッキングDay0)

こちらの続きです)ガイドのプラカシュとは翌朝6時にホステルで待ち合わせた。そこからカトマンズのバスターミナルへ移動する。バスターミナルといっても立派な建物があるわけでもなく、砂埃の舞う幹線道路の端っこに男たちが立って行き先を叫ぶシステムだ。

ネパール語なので、プラカシュがいなかったら絶対にたどり着けなかった……と思っていたら、同じホステルに滞在していたアメリカ人の女の子は1人でチケットを買っていた。話すと、同じくランタン方面に向かうのだと言う。

バスに揺られて8時間。標高を上げるにつれてどんどん寒くなってくる。そしてバスはとにかく揺れる。ランタン国立公園のチェックポイントを済ませて(ネパール軍による荷物検査があった)、ようやく14時過ぎにシャプルペシへ到着。ここはランタントレッキングの麓の町だ。ターミナルで出会った女の子はゴサイクンドという湖の方面へ行くといって先に降りていった。

シャプルベシ。こじんまりとしたいい町。

シャプルペシはタマン族が多く住んでおり、チベット系の彼らはなんとなく日本人と顔が似ている。バイクと車行き交うカトマンズとは打って変わり、町全体がのんびりしていた。なんだか、日本の田舎に来たとすら思える。

ちびっこも何となく親しみのあるお顔

今回のトレッキングでは、宿泊場所がすべて指定されたロッジだった。宿泊費はツアー代に含まれているが、食事は別会計の仕組み。私は少しでも食費を浮かせたかったので、朝ご飯は7日分すべて運んだ(これが結構重かった……)

ガイドのプラカシュから「ロッジ以外の場所ではごはん食べないでね!」と、念押しされたので、夕食は宿泊場所のロッジで取ることにした。もちろんダルバート。このトレッキングではダルバートも主に食べ、ロッジごとの味の違いを楽しんでいた。むしろダルバートの旅と言ってもいいほどだ。

プラカシュとおしゃべりしながらごはんを食べていたら、家族の話になった。プラカシュにとってガイド業は「出稼ぎ」で、奥さんと二人の子供はマナスル近くの村に住んでいるという。

「僕の息子は重度の障害があるんだ」と、プラカシュがぽつりとつぶやいた。「そうなの?」というと、1歳の時に高熱を出し、病院に行っても適切な処置がなされず、脳の障害が残ってしまったのだと話してくれた。

以来、ずっと奥さんがつきっきり介護をしているという。ネパールには訪問介護、障害児のデイケアサービスや学校などはなく、家族が面倒をみなくてはならない。

「もし適切な医療が受けられたら」「もし障害があっても行ける学校があれば」……そんな気持ちを飲み込みながら、ダルバートを食べた。

ロッジは暖房がなく、日本から持参したNANGA450のダウンシュラフに包まって寝た。明日からのトレッキングに胸を高まらせながら。

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