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Chat GPT

Chat GPT というものがある。スマホのSiriが目覚ましく成長したようなものだ。(でも上手に説明できないのでちゃんと調べてください。)
名前には聞いていて実際にやったことはなかったけど、この間、知人から紹介された講演会に行ったとき、話の本筋から脱線したプレゼンターが紹介していた。

プレゼンターが大きなスクリーンの前に立ち、パソコンのブラウザでChat GPTを開く。
自身の名前を入れると、見えない誰かがキーボードを打っているように、文字が軽やかに踊り出す。どうやらその人は、哲学者で、その人の「思想の影響範囲は広い」なんて書き出されている。実際そのプレゼンターの職業は哲学者ではないのだけれど、本人は面白がりながら次々と出現する文字を眺めていた。

「すごいですよね、今の技術は。こんなものがあったら、読書感想文なんて必要ない。」

はて、それはどうだろうか。

小学校の夏休み最終日まで溜めておく読書感想文、高校入試や大学入試の志望動機、面接対策、大学でつかみどころのない授業のリアクションペーパー、そしてここにあるこんな哲学エッセイ。

Chat GPT にお願いすれば、あっという間に完成して提出できて、夏休みは長く、面接対策は暗記さえすればバッチリ、大学の成績も上がるかも。

でも、哲学エッセイだけはきっと譲れない。
例えば、愛とか、自己と他者とか、そういうキーワードを打ち込んだとして、Chat GPTが答えてくれる。よどみなく、反論の余地なく、そしてすばやく。
でもそれは、私の意見とは、私自身とは、かけ離れたものだ。

小学生に読書感想文を書かせる意味なんて何かは私にはわからない。きっと宿題として出す先生ごとに、そんなもの違っている。

けれど、自分の感じたこと、考えたことを文字に起こす、自分自身を言語化するという行為は、自分がここに確かに存在する、という証になる。
そして、自分はこんなことを考えていて、こんな人間だったんだ、と知る材料になる。

さらに言えば、口ではこんなことを言っているあの人が、ゆっくり吟味しながら言葉にすると、こんなことを考えている、と知る材料にもなる。

そして、その人が表す世界をのぞき込む。そうすることで、自分の世界もほんの少し、色がつき広くなり、豊かになる。

もちろん、Chat GPT が見ている世界を知る、と捉えることもできるけれど、彼(?)はあくまでネット上の言葉の集合体、人々の集合体だ。
私がいま対峙している目の前のあなたではない。あなたが所属しつつ、あなたは消されてしまったグループだ。それは、あなたではない。

じゃあ「あなた」って何?つまり言い換えれば「私」って何?私を私たらしめるもの、私らしさって何?それって私が考える意見?私特有の言葉使い?
って色々疑問に思えてくるし、
私自身や誰かの考えを知ったところでどうするの、世界が広がったところでどうするの、だからなに、とも思う。

でもとりあえず、先生になったら、読書感想文は宿題として出そうかな、と思う。私はあれ嫌いだった、というか何を書いていいのかわからなくて、いつも母に相談に乗ってもらっていたので、よく母の読書感想文になっていた(笑)、
身近にいる人や、ChatGTPの力も借りて構わない。でもあくまで借りるのみでそれは丸写しではない。その子が感じたことや思ったことを、その子が一番しっくりくることばで、聴きたい。
そしてその読書感想文には何を書いてもいいということにしよう。どれだけ突拍子のない意見や読みにくい文章や短すぎる感想文、例え一文しかなくても、その子自身だと思って接しよう。感じたり思ったりした理由や、一文に込めた想いに心を馳せよう、対話しよう。


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その講演会の翌日が母の誕生日で、母がよく作ってくれた紅茶のシフォンケーキを焼いて食べた。おいしかった。

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