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吉田 松陰(よしだ しょういん)について vol.1 -どんな人物だったのか?-

数年ぶりに気になった吉田松陰とは

きっかけは覚えてませんが、5年くらい前に吉田松陰という江戸時代末期の人物が気になりググりまくったことがありました。
私なりにあだ名をつけるなら、猪突猛進の「クレイジー師匠」!
後の明治維新の中心的存在の一人「高杉晋作」や、初代総理大臣「伊藤博文」の師匠とも言える人物です。

今度は腰を据えて、書籍などもしっかり読んで見ようと思ったので、学んだことや自分なりの考察を何回かに分けて書いていこうと思います。
なんだか、夏休みの読書感想文みたいだw

吉田松陰の略歴

略歴はこちら。

  • 江戸時代後期に山口県で生まれる

  • 養子先の叔父の影響で勉強熱心に。若くしてその才能を開花

  • 軍事力強化した欧米諸国がアジア諸国を支配する様を見て日本もヤバいと危機感を覚え、富国強兵の思想を強める

  • 自身の知見を広めるため脱藩したり外国船に乗り込もうとしたり無茶しまくり

  • 謹慎処分中に叔父の塾を引き継ぐ。門下生は高杉晋作や伊藤博文などその後歴史を動かす錚々たる面子

  • 色々やらかして政府に捕まり老中(政治執行役のトップ?)の暗殺計画を自白し、流石に処刑される

正直、歴史上の人物としてはマイナー感が否めない

特に歴史上の偉人というかヒーローが多い幕末。
坂本龍馬や高杉晋作、新選組・・・とまあ、私のように学生時代に歴史に興味なかったものでも知ってる名前がずらり。
その中で松蔭の知名度は少し霞んでしまうというか、私は三十路過ぎるまで名前すら知らなかったというレベルです。
なぜかと考えると、次の2点が大きな理由かなと考えます。

  • 実際に歴史が大きく動く前に処刑されてしまっている

  • 本人の活動はほとんどが結果的に失敗。歴史を変える成果を出したのはその弟子

しかし、その意志が後の明治維新へつながった

行動力は抜群だったが少し勇み足だったのか、教育以外の活動のほとんどが失敗に終わった松蔭。
ただ、本人は死の間際もそのことを悲観的には捉えてないようで、遺書とも言える「留魂録」という本の中では、以下のように語っています。
※かなりの概略です、すいません。

人の人生は長い短いではない、30歳でこの世を去る自分にもそれなりの実りはあった。
自分自身は戦いに敗れたが、一度敗れたくらいで挫けるようでは勇士とは言えない。
私は死ぬが魂は現世にとどまり見守っている、後は頼んだ。

「留魂録」より大幅に意訳

ここまでの覚悟を持って生きていたんだなと、畏敬の念を覚えるばかりです。
こうした覚悟や強い意志があったからこそ、のちの時代を作る多くの人物が松蔭の意思を継ぎ、明治維新を成し遂げたのでしょう。

今の自分の状況を考えると強く共感する部分や、取り入れたいと思う部分が非常に沢山あります。
ある意味、これからの自分の人生のロールモデルかなと。

この続きは・・・

少し長くなったので、今回はここで終わりにします。
この続きは、「ロールモデル」について自分なりの考え方や、もう少し深掘った話など、吉田松陰シリーズとして書いていきたいところです。
若干、社会科の授業みたいでしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!
次回もどうぞよろしくお願いします。


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