エンジニア人生を振り返る - フリーランスエンジニアとベンチャー起業編
福岡でVR・アプリ開発をやっている株式会社OneSmallStepの西です。
これまでの、サラリーマン→個人事業主→ベンチャー創業CTO→ベンチャーにCTOとしてジョインというエンジニアとしての歴史を振り返ります。
「エンジニア人生を振り返る - エンジニアデビュー編」「エンジニア人生を振り返る - 父ちゃん会社やめるぞ!編」の続きです。
フリーランスという名のフリーター
会社を辞める際に、ありがたいことに退職金がありましたので、会社を辞めてしばらくは退職金で生活しながら、自分で色々とサービスを作ってみることにしました。
意気揚々とフリーランス生活を始めたものの、それまで事業開発などしたことがありません。
マーケティングやデザインの勉強もしてきたわけではありません。
それでもその時ずっと趣味で作っていた家計簿Webサイトの広告収入は毎月20,000円ぐらい入るようにはなっていました。
当時ノマドワーカーや、ブロガーブームで、ブログについても勉強し、ブログの運営も始めました。
タイトルのつけかたや、SEOのやり方など有名ブロガーさんたちの情報を見て、とにかく見よう見まねでやってみました。
とりあえずスタバでMac開いたりしていました笑
数ヶ月で、家計簿Webサイトと、ブログの売り上げ合わせて月30,000円ぐらいになり、こんな感じでサイト増やしていけば、とりあえず生活の基盤は作れるかな、とか甘い感じで考えていました。
次々とサービスを生み出した日々
そういうわけで、当時ニュースキュレーションサイトや、ペットのSNS、人を検索するサービスなど色々作ってみました。
Simplikeという名前の完全匿名SNS作った時は、完全匿名の知らない人たちに、「使いにくいなー!」とか「こんなの誰も使わねーよ!」とか言われました。
なんのためにサービスをやっているのか、自分でもよくわからなくなってしまいました笑
色々とサービスを作っては公開してみましたが、どれも継続的に使われるサービスにはなりませんでした。
そうこうしているうちにあっという間に退職金も無くなったので、前職の時からお世話になっていたエンジニアの方に案件を紹介してもらい、お客様先常駐で働くようになりました。
あれ?なんで会社辞めたんだっけ?
生活のために今は仕方ない、と自分に言い聞かせて、昼は常駐先で仕事しながら、夜は家でサービスを作る日々が始まりました。
エージェントなどを介さずに営業も自分でやりました。
妻が元経理の仕事をしていたので、経理は手伝ってもらい、とても助かりました。
営業して、見積もりして、契約して、開発して、問い合わせ対応もして・・・明日の給料もどうなるかわからない。
会社に所属していた頃に、自分が作業に集中するためにいかに周りが支えてくれていたのかを痛感しました。
と同時に、やっている仕事はサラリーマン時代と変わらない状態になってしまい、あれ?なんで会社辞めたんだっけ?と思うようになりました。
常駐案件を取るのを辞めて、全て請負で持ち帰りで仕事するようになりました。
時間は自由になりましたが、リスクも多少増えました。
契約する際に瑕疵担保の期間をどうするか?入金のサイクルをどうするか?適正に見積もってきちんと納品しないと、もしプロジェクトを炎上させてしまったら死にます笑
ある時には、請負契約で開発して納品した案件の入金がなく、先方に催促してもなかなか入金されず・・・裁判所から手紙が届いたことがありました。
「破産手続きに関する債権者への通知」というような手紙でした。
頭が真っ白になりました・・約1ヶ月分の稼ぎが吹っ飛びました。
案件を掛け持ちしていたので、生活はなんとかなったものの、とても高い社会勉強の授業料になりました。
個人事業主で働くということはこういうリスクもあることを考慮しておく必要があります。
フリーランスと子育て
とまぁ、山あり谷ありでもなんとか生活しながらフリーランスを続けていきました。
フリーランスになって一番良かったことは、家族との時間が十分にもてたことです。
フリーランスになった頃、長女は4歳で幼稚園、長男は2歳でかわいい真っ盛りでした。
妻も整理収納コンサルタントの仕事を個人事業主で始めました。
(家の整理収納や導線設計、オフィスの書類整理や効率化による時間短縮など興味ある方はぜひお問い合わせください。)
通勤時間もなく、決まった勤務時間もないため、柔軟な働き方ができて、共働きの妻との家事の分業(ほとんど妻がやってくれましたが・・。)や、子どもとの時間も十分取れてました。
フリーランス時代のある日の私の生活です。
子どもはあっという間に成長しいきます。
一緒に遊んでくれる時期もあっという間に過ぎていきます。
この時期に子どもと多くの時間を過ごせたことは一生の財産です。
人生において、バリバリがむしゃらに働きたいときや、家族との時間を大事にしたい時、理想の働き方も変わります。
リモートが良いとか、時短勤務が良いとか、ではなく、人生のフェーズごとに柔軟に自分の働き方を選択できる時代になって欲しいです。
ベンチャー立ち上げ
一人で受託をこなして、サービス開発も続けていましたが、サービス開発においてデザイナやマーケターなど、チームの必要性を感じるようになりました。
起業家やIT界隈の人たちが集まるイベントや勉強会にも多く顔を出すようになりました。
福岡にも色々なITコミュニティがあって、色々な勉強会が日々開催されていることを初めて知りました。
参加するだけでも価値はありますが、やはり積極的にLTなどアウトプットすることをお勧めします!
LTすることで多くの方々に知っていただくことができて、今の私があります。
ヌーラボの橋本さんや、あの赤瀬さんなど、この当時コミュニティで出会った方々にはいまだにとてもお世話になっています。
スタートアップウィークエンドという起業家向けのアイデアソン・ハッカソンイベントにも参加して、ここでも同じように起業を考えている仲間に多く出会いました。
人と人とのつながりの中で、仕事をして、生きていることを痛感する毎日でした。
ある日福岡で開催されたサイバーエージェント藤田晋社長の講演会に参加しました。
そのイベントの懇親会で、東京から来ていて、起業を考えている学生さんたちに出会いました。
あるサービスで起業しようとしているけど、エンジニアが見つからない。という話をしていて、当時フリーランスで一緒に事業を立ち上げる仲間を探していた私は、「オレ手伝うよ!」みたいな感じで、割と軽いノリでサービス開発を手伝うことになりました。
そんなノリで、学生向けのサービスを爆速で開発し、2ヶ月ぐらいでリリースしました。
この時一緒にやっていたメンバーは積極的に学んで吸収する力がズバ抜けていて、行動力もあり、年齢とか立場とか関係なく、純粋に尊敬していました。
スタートアップをやるスピード感というものを身に沁みて感じました。
サービスローンチする頃に会社を設立し、私も創業メンバーのCTOとしてベンチャーの立ち上げを経験しました。
スタートアップの聖地シリコンバレーにも一緒に行きました。
この時私は取締役CTOというポジションでしたが、他のメンバーは東京にいて、私は福岡でリモートで作業していました。
プロダクトの開発自体はリモートでも何も問題なくできました。
しかし、プロダクトのローンチ後、事業を運用して拡大していくフェーズになると、やはり他のメンバーの温度感が伝わらなかったり、情報のタイムラグが発生するようになってきました。
経営に関する意思決定を行う上で、この差はかなり大きかったです。
一緒にやっていた東京の学生エンジニアがものすごいスピードでエンジニアとして成長してくれたこともあり、私はこの会社を辞めました。
福岡のスタートアップ
その後、福岡のスタートアップのサービス立ち上げに何社か携わりました。
無償で開発を請け負って、「将来大きくなったら、払ってくれたら良いですよ!今はまず事業を拡大させてください!」という口約束でプロダクトを進めたこともあります。
もしかしたら同じようなことをやっているフリーのエンジニアの方もいらっしゃるかもしれませんが、これはオススメしません。
お互いにコミット力がなくなります。
無償で開発してもらう側はもちろんですが、開発している側も、最初は開発が楽しくてモチベーションもってやりますが、ずっと成果が出ないままだと、「無償でやってるんだし、いっか。」という気持ちになります。
報酬はもらうべきだし、起業したてで資金力ない場合は、開発するソフトウェアを現物として、出資するなど、株式もきちんと持ってお互いに責任感持ってやることが大事です。
東京のスタートアップにも、福岡のスタートアップにも関わる中で感じた事は、スピード感と人との繋がり方の違いです。
これは私が手伝っていたスタートアップだけでなく、相談を受けたスタートアップや、その他福岡のスタートアップ全体的な印象ですが、リリースしないプロダクトをいつまでも磨きすぎている印象があります。
せっかく最低限でも動くプロダクトがあるのに、「この機能がないと使ってもらえないかもしれない」「この機能があるともっと便利かもしれない」といつまでもリリースせずにプロダクトを磨いて、結局リリースの時期を逃す、というケースをいくつか見ました。
もちろん全ての会社がそうだというわけではありませんが、そういうスタートアップが多いように思います。
東京だとスタートアップも事業会社もひしめいている為か、とにかくリリースしよう、リリースした後のことはその時考えよう!という姿勢でした。
実際に東京の学生ベンチャーでやっていた時、学生が教授を評価するサービスをリリースしたのですが、リリース前から「学生が言いたい放題言わないか?」とか「教授から文句言われないか?」とか懸念事項はありましたが、そうなったらその時考えよう、ということでリリースしました。
世に出して使ってもらうからこそ、色々と見えてくる世界があります。
もう一つは人の繋がり、東京だと「投資家に会いたい」「こういう事業をやっている人に会いたい」というと、誰かがすぐに繋いでくれます。
会いたい人に繋がるまでのパスが短いので、すぐに出会える印象です。
福岡がスタートアップ都市として成長していく上で、この辺もだいぶサポートする組織や文化は出来てきましたが、まだまだ足りない印象です。
そしてやはり福岡からスタートアップの成功事例がもっとうまれないと本当の意味でのスタートアップ都市にはなれないのかな、と思います。
このようにいくつかのスタートアップに携わってきましたが、こんな中その後の人生を変える大きな出会いがありました。
その話はまた次回「エンジニア人生を振り返る - diffeasyジョイン編」につづく・・・
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