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エンジニア人生を振り返る - diffeasyジョイン編

福岡でVR・アプリ開発をやっている株式会社OneSmallStep西です。

これまでの、サラリーマン→個人事業主→ベンチャー創業CTO→ベンチャーにCTOとしてジョインというエンジニアとしての歴史を振り返ります。

エンジニア人生を振り返る - エンジニアデビュー編」「エンジニア人生を振り返る - 父ちゃん会社やめるぞ!編」「エンジニア人生を振り返る - フリーランスエンジニアとベンチャー起業編」の続きで、最終回です。

diffeasyとの出会い

前回の記事にも書いた通り、フリーランスとして活動しながら、スタートアップの立ち上げを手伝ったり、チームとして一緒にサービスを作り上げていく仲間を探していました。

色々なスタートアップ系のイベントや勉強会に参加する中で「イノベーションスタジオ福岡」(略して「イノスタ」)というイベントを知り、参加しました。

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イノスタは、多様なバックグラウンド・能力をもつ様々な分野の人材と、新たな創業や新規事業開発などに意欲のある方々が混ざり合い、ビジネスという切り口で新しい未来を創造していくプロジェクトです。

約半年にわたって、課題の発見や検証そして、プロダクトのプロトタイプ作成・・という流れで進んでいきました。

この参加者の中にその後diffeasyを起業する白石憲正がいました。

白石はこのイベントの中でも目立っていました。
人の巻き込み方もうまく、プレゼンテーションも上手で、私は別のチームでイベント内ではほとんど接点なかったのですが、ランチに誘われ、一度だけランチしました。

喋りもうまいし、第一印象は「あー、苦手なタイプ」というのが正直なところです笑

そういうことで、イノスタ内ではほとんど接点なかったのですが、diffeasyという会社を兄弟で立ち上げた、ということはFacebookで見て知っていました。

起業したということだったので、経営者が集まる朝会に誘ってみました。

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朝苦手という理由で、朝会は気持ちよく断られたのですが、連絡した2時間後ぐらいにランチ行くことになりました。

こうやってすぐに人を巻き込んで、コミットするところが憲正の凄さです。

ランチに行くと、そこで当時副代表COOの弟篤司を紹介されました。

論理派の兄と、人情派の弟。
篤司の第一印象は気さくで話しやすく、コミュニケーションおばけ兄弟なのですが、兄弟で性格は随分違ったイメージでした。

ランチの後、そのまま、案件の相談に乗りました。
宮崎の木材工場からの相談で、iPadのシステム作りたい、という話でした。

当時のdiffeasyは創業したばかりの兄弟2人だけの会社で、エンジニアはおらず、開発は外部のパートナーに発注していました。

色々話すうちに、「私が開発やりますよ」という感じで、個人事業主としてdiffeasyから仕事を受けるようになりました。
最初の案件は先ほどの宮崎の木材工場の案件でした。

3人で何度も車に乗って宮崎に行きました。
移動の車中も話好きのふたりはずっと私の過去を探ってきます笑
夜は宮崎の美味しい食事を食べて、飲みながら、カラオケの得点を競って・・もちろん仕事は真剣に。

diffeasyの名前やビジョンも好きだったのですが、この2人の自分にない力が魅力的で、意思決定の速さ、仕事のスピード感が一緒に仕事をしていて気持ちよく、相思相愛(たぶん?)という感じでdiffeasyにジョインしました。

diffeasyでのCTO

diffeasyにジョインしてから、組織の成長に合わせて、CTOの役割も日々変わっていきました。

最初はとにかく受託案件の開発がメインでした。
大会運営向上心」というサービスもこの時生まれました。
5人ぐらいの合宿でサービス名を「心技体」か「向上心」か、夜遅くまで議論しました。

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少ない人数で、少ない資金体力の中で、受託案件と自社サービスを開発するので、とにかくスピードを優先しました。
ソフトウェアを継続的に運営することを考える前に、まずは向上心というサービスが受け入れられるのか?をいち早く検証するため、2ヶ月ほどで最低限の機能でプロダクトをローンチし、知り合いの剣道空手の先生が主催する大会で利用してもらいました。

技術的負債とスピードの話がよく議論されますが、ソフトウェア開発の前に、そのプロダクトが本当にニーズがあるのか、事業検証をする必要があります。

事業検証のためには、最低限でも動くもの(MVP)があるかないかでは、得られるフィードバックの質が違います。

向上心でもMVPを検証することで、大きな手応えと、たくさんの課題が見つかりました。
とにかく走りながら改善し、今の向上心は最初のバージョンを一回完全に捨てて、ニーズに最適化し、作り直しました。

この頃からエンジニアも増えてきましたが、Web未経験のメンバーが多かったです。
Webアプリを作ることや、ソース管理、サーバー構築など色々学びながら全員で成長していきました。

私の役割はメンバーが無理なく、でもスピーディに成長できる技術選定やアーキテクトのような仕事が増えてきました。

自社サービスを運営していく上で、課題も多く出てきました。
継続的にアプリを開発、リリース、改善していくための必要性を日々感じながらも、目の前の案件に追われる日々でした。

優秀なメンバーも増えてきてくれたおかげで、この辺りの今までできていなかったところにも目を向けることができるようになりました。
フロントもバックエンドもそれぞれのメンバーが圧倒的に成長し、優秀なメンバーも新たにジョインしてくれるようになりました。

私の役割も日々変化し、プロジェクトの管理や、営業的な動き、そして外部に情報発信することも増えてきました。

メンバー数も4年間で21人に増えました。

メンバーが開発に集中できるように、開発以外のことを、と思ってやりながらも、やっぱり管理とかは苦手だし、コミュニケーションもそれほど得意ではないので、正直、自分がやるべきことがだんだん見えなくなってきました。

苦悩の中で、少しずつ見えてきたdiffeasyにおけるCTOとしての役割は、

・経営戦略から、IT戦略をたて、メンバーに示し、実行に移すこと。
・経営メンバーに対しいて、エンジニアリング / クリエイティブの価値を伝えること。
・経営陣に技術的な課題を共有すること。
・技術的ビジョンをメンバーに示すこと。
・diffeasyの技術力を外部に発信すること。
・外部のエンジニアをdiffeasyのファンにすること。

です。

取締役CTOとして当たり前といえば、当たり前だし、未来を描くことは自分も得意なのですが、目の前のことを追いかけるあまり、見失ってたように感じます。

ベンチャー企業におけるエンジニアと組織の成長、そしてCTOの役割を考える

やはり私は世界を変えるサービスを世に出したいし、そこの先陣を切っていくのが、自分の強みだと思っています。

組織としても、私は自分の考えや価値観を押し付けようとも思いませんし、価値観や考えの違いの上で、それぞれが自分の長所を活かして、輝ける組織でありたいという思いは変わりません。

弊社CTOから学ぶCTOに関する考察

この先の私のエンジニア人生

この先のことは、正直どうなるか、5年後はおろか、明日のこともわかりません。

ただ、私はずっと変わらず、全ての人が自分の人生を主体的に生きる社会の実現を人生の理念に掲げ、自分のあり方と常に向き合い、自分が楽しいこと、やりたいことに全力で挑んでいきたいと思います。

まだまだ未熟なCTOではありますが、未熟な自分も認めつつ、過去の失敗も挫折も全てを経験に変えて、diffeasyをより良い組織に、エンジニアそれぞれが個として幸せで成長できる組織にするため、挑戦を続けて行きたいと思います。

それではみなさま、良いエンジニアライフを。

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