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「「仕事をなめるな」」ということ

最近のこと。

数週間まで半年ほど本当に気持ちが休まることがほとんどなく働いていたこと、
そしてここ最近周囲の退職者や組織の違和感が増えたことで、
4年以上働いたいまの会社を辞めるか辞めまいか、いや辞めるべき、という気持ちが大きくなっていたこのごろ。

この1週間、さまざま揉め事に巻き込まれながらも、業務時間外の仕事を寄せ付けないように寄せ付けないように静かに過ごし、友人知人あらゆる人に会う時間を作り、ひとりの時間もできるだけ確保した。
準備するものが多いのがネックになって、転職活動には重い腰がなかなか上がってはいない。いまはゆっくりしたい、頼むから誰かゆっくり話を聞いてほしいと思って。

シーズンもあり忘年会の美食で自分を肥やす

しかしそうなってくると、今まで思考のキャパまで外に向けていた分、色々と考え始めることができるようで、(結婚や妊娠などもふくむ)周辺のライフステージの状況、自分の仕事観をやっとぼんやりと浮かべるようになった。

全身泥まみれで全力疾走をしている時には気付けないような、周囲の状況だったり、自分の好きなこと、嫌いなことだったり。

いまのところ、わたしは自分と向き合える生活に憧れは持ってはいるが、
一方で、相手の打ち所を探って時折気持ちがヒリつくような、成果物のある仕事に関わることも相当好きなのかもしれない。

丁寧な暮らしは向いていなさそう

嫌だ嫌だと言っている仕事も、根本嫌いではないのだと思う。
自分の指示が一直線に飛ぶ現場、自分の作ったアイデアが人の手を借りてものになる企画書。

社会的な旋風を起こしたい!とか、誰もが知る有名プランナーになりたい!とかそういう熱い想いは持ちあわせてはいないのだが、
関わったからには仕事にある程度の熱を持ちたくなってしまう。
だからふと、一歩自分が最前線から引いた時に、色々な人の仕事観が見えて、考えて、
「仕事をなめるなよ」と思う。ことがある。それが最近のこと。

熱意がないと書くと、万が一に関係者(発注元)に知られたら怒られてしまうかもしれないが、自分に対する熱意はなくとも、他者に熱を向けることはできるので、要望に応える仕事はできる。

中途半端なまま、あまり仕事をなめるなよ、と思う。
仕事の中身はいわずもがな、その姿勢。
大した時間でもない残業でやった気になるな、とか、質に伴わない時間を使うな、とか、インプットをひけらかすことをアウトプットと言うな、とか。

いまやるべきなのはこの愚痴会ではなく、確かな納品日、納品物に向けた遂行スケジュールの再考だし、我々が日々仕事でやるべきなのは褒め合いでも、貶し合いでも、仲良しごっこ遊びでもない。
確実な企業間でのやり取りと、社内スタッフ同士の連携。

だから後から修正できてしまう机上の話より、その瞬間機微を見て、自分のひと声で、動きで、成功に導ける現場は好きだ。
この時間、巻ける。とか、どこを同時並行できれば全員にストレスがかからない進行ができる。とか。

仕事をなめるな、
すなわち私をなめるなよ。
これまでの頑張った思い出が、今までの蓄積が
そういう気持ちにさせてしまう。

自分は大した人間でないことは自分が一番わかっているつもりだが、この考えがふと出てしまうのは、まだまだ未熟な証拠、井の中のなんとやらなんであろう。

いまの職場からは離れるつもりではいるけれど、
どこに行っても仕事はなめない。なめないでやる。

仕事をなめるな。
いまの自分に一番言い聞かせてあげたいね。