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陰謀論が多すぎる

最近SNSを見ていて思うこと。
ワクチン、NISA、添加物、もうとにかく何かにつけて陰謀論。

常に真実を追い求めて、目先の情報に踊らされないように警戒すること。
それは現代社会においてとても大切なことだと思う。
ぽっと出てきた新しいものをむやみに信用しない。
まずは疑ってみる。
ここまではまったく同意だ。

でもなぜそこにいつも「誰かの悪意」を必要とするのか?
陰謀論の根幹にはいつも、「誰かが私を搾取して私腹を肥やそうとしている」という理屈がある。
いや、無いものもあるが私としては明確な搾取がない無い陰謀論の方が意味不明だ。
例「何に使うかよく分からないが何かのチップを体に入れられる。」→なんのためにこんなに貴重な半導体をばら撒くの?目に見えないくらい小さくする技術も注ぎ込んだ高価なものをそんなに大量に?

新しいものに感情的にアレルギー反応を起こすのは仕方がない。
でも、何かを「自分はやらない」と決断するために、いつも「悪い誰か」が必要なのはなぜ?

選択はいつだって自由だ。
法治国家なので法律の範囲内であれば、ということであるが、その中であれば誰が何を「しようと」「しまいと」自由のはずだ。
陰謀を持ち出す人は、他責思考だと思う。
決断を自責で下すことができないから、「こんなに悪い企みがあるから自分はそれを「できない」」という理論にしたいのだろう。
そもそも、ともすれば搾取されてしまうという圧力の中に身を置くことでしか、自分の選択のバイアスを決められない。

選択とは、必ず自責でなければならない。
外界に基本的に意思はない。悪意も善意もない。ただ情報が並んでいるだけなのだ。
その中にたまに現れる悪意や善意を感じ取る能力は必要だが、初めから世界を悪意と善意の2種類でとらえるのは間違いだ。
誰かに方向性を決めてもらいたい他責思考のままでは、「いい人には従う」「悪い人には従わない」になってしまう。

自分で判断する必要がある。
判断には根拠が必要だ。
無数に転がる情報はそのままでは根拠にはなり得ない。
情報を根拠たらしめるものは理論だと思う。
より信頼性の高い理論をつくる活動が学問だ。
陰謀論は学問に基づいているか?その学会は本物ですか?疑う力はここに使うべきだ。

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