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くるり、くるりと、傾けて。

8月15日土曜日。言葉の企画が始まって、講義の日に見る、はじめてのお天気だった。東京は8月に入ってほとんど全く雨が降らなくなってしまった。セミが窓に止まって鳴くもんだから、うるさくないかしらと思いながら、エアコンが効いた部屋の中で、アツい講義を受けていた。

言葉の企画2020 第三回目の講義「名付けの企画」。

この日は企画生Dayだった。朝8時に任意で始めた朝活メンバーとの読書会を行い(わたしはどハマりしている怪獣8号をレビューした)、12時から講義前のランチ会に参加して、13時〜15時に講義、そしてその後16時半から次回の課題メンバーとの打ち合わせ。

住んでいるところもバラバラで、いままで全く接点のなかったわたしたちが、この二ヶ月の間に、一日の大半を過ごすような関係になっている。時間だけじゃなく知識や思想を共有しあう中で、不思議と、オンラインなのにもかかわらず、声から少しずつ向こうの体温まで感じられるようになった気がする。会えないだとか、そんな制約なんかおかまいなしに。わたしたちはもうすぐで、折り返し地点を迎えようとしている。

そうして行われた講義と課題について思うこと。

はじめまして、佐藤裕香。

第三回は名付けの企画。その中で四つの課題が出された。
・自分の名前について由来や字源をしらべてまとめる、名前紹介の企画。
・言葉の企画に参加した理由をタイトルとしてまとめる、タイトルの企画。
・世の中の違和感について名前をつけてみる、名付けの企画①。
・今の時代について感じることに名前をつけてみる、名付けの企画②。

そのうちの名前紹介の企画で自分の中では大きな発見があった。

佐藤裕香。
これがわたしの名前でした。

日本で多い名字1位のサトウ、クラスにだいたい一人はいるユカ。Facebookの名前検索ではたくさん出てきて見つけられない。自分の名前ほど平凡な名前はないなあ、とずっと思っていた。だから好きでもないし、嫌いでもないし、人に紹介すると「普通」と言われて一緒に笑っていた。

両親はわたしがはじめての子供で、名前に対する思いはあったものの、大切だからこそ自分たちで名付けることはしなかったと言っていた。二人とも大人になってから名前を変えており、名前に対する複雑な心境を持っていたから、そのとき信頼していた鑑定士にお願いすることにしたのだった。だからわたしには、いわゆる "エピソード" はない。

人が人に興味を持つのは、ひとりひとりがみんな違うバックグラウンドだったり、ストーリーを持っているからだ。ひとつとして同じストーリーはないし、唯一無二だからこそ人は人に興味を持つのだ。
今回もそうだろうと思った。エピソードがあるひとにきっと多くの人が惹かれるだろう。エピソードがない自分は、脚本を持たない役者のように立ちすくむしかないのかもしれないと思った。

けど、そうじゃないと気づいたのは、企画メシ5期のすがわらさんのnoteに書いてあったこの言葉を読んでからだ。

「名付け親は両親だが、育ての親はじぶんなのかもしれない。」

目から鱗が落ちた。そうじゃん。名前と生きていくのはわたし自身なのだから、どう成長していきたいかは自分で決めたらいいのだ。だったら、これから自分が一緒に生きていきたい意味にしよう。脚本は、自分で作ればいいんだ。自分が演じていくのに、自分が一番信じたいと思うものを。

そうして作ったアウトプットは、総選挙では上位に入らなかったけど、すごく気に入ったものになった。今、自分が何を大切に生きたいと思っているか、これからどういう自分でありたいのか。それを名前の中にこめられたから。そして自分が思う形で、それを表現できたと思うから。それだけで、ずっと、この企画に取り組めてよかったと思っている。

面白い。28歳にしてはじめて、自分の名前をちょっと好きになった。これからも「普通」と呼ばれることはあるかもしれないけど、一緒に笑うことはしなくなるだろう。そういったところではある意味、わたしはこの企画を通して新しい自分に会いにいったということになるのかもしれない。過去や現在を見つめるのではなく、未来の自分に意味を持たせたのだとおもう。新しい意味。新しい名前。そう、自分にとっても、この名前とははじめましてだ。

佐藤裕香。
これがわたしの名前です。

ひとりひとりを深く知る

第一回の自己紹介から、第二回、第三回と経てきて、特に今回の名前紹介で "その人が立体的になってきた" と思う。オンラインで、わたしたちが対峙しているのは画面であり、そこは2Dの世界。それが、チャットでやりとりを重ねたり、オンライン会を設けて過ごす時間を作ったり、知らないことを知るようになってきて、だんだんと、「あっそういう面もあるのね」「こっちの面を知りたいな」と思うことが増えてきた。

2Dが少しずつ3Dになっていくような感覚。そういった体験に触れられる場というのがオンラインだからこそ必要だし大事だと思っていて、冒頭にチラッと触れたが、任意のメンバーで毎日朝活をしたり、それから先月は講義以外にみんなで集える場として「#企画生横丁」を立ち上げたりした。ただ一方で厄介なのが、最初はどうしたらもっとみんなが集まれる機会を増やせるだろうと思っていたのが、時間が経つにつれて、どうしたら、ひとりひとりのことをみんながもっと知れるだろうと思うようになったこと。

深く知りたい。

それはその人をもっと浮きぼらせる。立体的にするようなイメージ。それは1対1だったり、みんなでその人についてそれぞれの視点から問い、それに答える、その繰り返しでできるものだと思った。そんな思いもあり、先週、企画生をインタビューする「#おとなりラジオ」を立ち上げた。企画生をゲストに、みんなからリアルタイムで来る質問を問い続ける。これが面白かった。1人の視点だとなかなか気づかない視点からの問いが、どんどんくる。自分では思いつかない問い。そしてそれが実はみんなが気になってたこと。前から斜めから、後ろから右下から、その人のあらゆる面に光が当たる。

そういう話がしたかった!

そしてこの感動をみんなと共有できていることも嬉しかった。わたしたちはまだまだお互いに光の当たっていない面がたくさんあるのだ。少しずつでいい。けれどいつも見ているあの画面の、真正面の角度以外の、みんなのことをもっと知りたい。

立体的な関係をつくる

そういえば名前紹介が終わってから、何人かが企画生を呼びかけるときに名前の漢字を使うようにしていたり、Twitterで企画生のつぶやきに反応する機会が多くなったり、心が動かされたものを言葉にして相手に伝えてみたり、そういう、お互いの向き合い方に変化が起きているような気がする。コミュニケーションにおける些細なことにこだわりや意識をもつ。言葉に厚みや熱量をのせる。そういう変化に気づいたのも、関係がより豊かになってきた証拠なのかもしれないと思う。

だから信じられる。わたしたちだったらきっと、もっと立体的な関係をつくることができると。抱きしめるとか、同じ空気を吸うとか、一緒に同じごはんを食べるとか、そういったことができなくても、このつながりを太く、そして立体的なものにできると思う。書くこと、話すこと、聴くこと、といった言葉を介して、その人をみる角度をくるくると回せば、いろいろな面を知っていける。

東京ラブストーリーの名シーンで、赤名リカは言う。

「人が人を好きになった瞬間って、ずーっとずーっと残っていくものだよ。」

わたしたちは、未来の約束を超えてなお、ずっと記憶に残っていくその瞬間を、いろんな角度から探しているのかもしれない。


愛し合うことの寂しさと 思いやることのぬくもりを
ここに置いておけばいいんだ
出会ったことが全てだったんだ
- くるり / 魔法のじゅうたん

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