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第三十二話「覚悟とロゴ」2024年7月17日水曜日 晴れ

 私鉄沿線の駅に降りた。ワークショップの会場となるレンタルスペースのある街だ。最終的な下見と、什器のレイアウトやプロジェクターの動作確認のためだった。
 約束までまだ時間があった。N美さんと昼飯を食おう、となった。
 昨日の雨の湿気がわずかに残る空気をかき分けて、地元で有名な町中華の店に向かう。
 創業60年近くになるそうだ。店主はまだ現役だが、営業時間は短縮している。開店から閉店までずっと中華鍋を振っているという炒飯の名店だ。営業時間の短縮は否めないだろう。
 次世代の店主になる人は現店主の息子であり、一時期メディアに出ずっぱりだった有名人だ。煌びやかな世界から、彼は父の味を残すために父に弟子入りしたという。その彼の姿もあった。
 昼飯時。瞬く間に満席になる店内を切り盛りしている。
 億という金が動く世界から、一皿数百円の町中華へ。父の下に着いた時、彼は40歳を超えていたはずだ。元々料理の資格や腕はあったそうだが、かといって一朝一夕でこの名店の味と仕事を身につけることはできないだろう。並大抵の覚悟ではなかったはずだ。
 「修行中」の文字を背に染めたTシャツを着て、アルバイト店員のように客席を縫って働く彼に、悲壮感や道化じみた印象は微塵も感じられなかった。
 彼の転身と私の失業を同列に見てはいけないが、彼の覚悟は凄まじいものがあったろうと想像する。
 私は憧れを持って彼を見ていた。

 しっとり系の炒飯は、噂通り美味かった。並盛りにしたのが悔やまれた。次は大盛りにしよう。

 その足で会場に向かった。私は什器のレイアウト、プロジェクターの動作確認をし、N美さんは水回りなどの掃除をした。
 実際にデスクや椅子を並べ、プロジェクター投影をするとワークショップでの動きが想像できた。
 うまくいきそうだ。N美さんと私は胸の内で頷いた。

 さらにその足で、私の屋号『Wineと珈琲』のロゴを受け取りに行った。
 あんこちゃんがアルバイトをしている店で受け取ることになっていたのだ。
 開店準備をしている時にお邪魔してしまった。下絵は前もって見ており、少々微調整をしてもらっていた。
 正位置のバージョンと横書きバージョン。柔らかく温かい、そしてわかりやすいイメージ通りのロゴだ。
 そしてちょっとしたアイコンとして私の似顔絵が完成した。
 いよいよだ。

 いよいよ、動き出す。

 私に覚悟はあるか?


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