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第四十三話「2回目の出店ーー巫女の霊験」2024年8月9日金曜日 晴れ

 6時30分にアラームが鳴る。二日酔いとは言わないが、身体にアルコールが残っている感覚がある。昨日は相棒の店でのバイトだった。昔馴染みの常連さんにご馳走になってしまった。頭痛薬を噛み砕き、大量の水で漢方薬の五苓散を流し込む。刺激的な苦味に美味さを感じるのは、身体が欲している証拠だ。
 二日酔い、いや、アルコール疲れは体内水分量のバランスを欠いてるのが原因のひとつだ。そのバランス調整に五苓散は効く。夜の商売の人間にはこいつも相棒と言える。
 ヨーグルトとプロテインで軽い朝食を済ませて、スーツケースを転がして出発だ。今日はN美さんもいる。心強い。
 電車を乗り継いで小一時間。すでに夏季期間に入っているのだろう。電車は比較的空いていた。
 到着する頃には、二日酔い、いや、アルコール疲れは癒えていた。開店準備に取り掛かる。
 N美さんは一度この店舗に挨拶に来ただけで備品や看板設置ルールなどは何も知らない。しかし、彼女は私以上に勝手が分かっているかように動く。私への質問は必要最低限だし、おかしな感想や意見はない。黙々と動いている。
 彼女とは長い付き合いになるが、彼女の立ち居振る舞いにはいつも感心する。いつ、どこに、どんな立場で赴いても、彼女はそこにいて当然という存在感を現し、その立場なりの働きをする。この地球上で彼女の知らない場所はないのではないか、とさえ思う。
 彼女のアドバイスに従いながら、看板の文言を変え、Instagramの告知をした。
 開店後、ほどなくして来店者があった。
 ワインがよく売れた。
 来店者が重なることはなかったし、ノーゲストの時間帯もあったが、それでもラストオーダーの時間までぼんやりとするような時間はなかった。
 彼女は、人目を惹く容姿だ。性別を問わず十人が十人とも好ましい評価をするだろう。だがこの店は地下にある。ガラス張りの店と違って、彼女目当ての客があったわけではないし、呼び込みをしたわけでもない。
 Instagramや看板も特別キャッチーな文言を使ったわけではない。もちろん彼女の画像もない。
 接客中もそうだ。ワインの説明とサーブは私だ。コーヒーのハンドドリップも私だ。彼女はクッキーの紹介と普通の世間話をしているだけだ。
 なのに、終わってみれば初回出店の売上と来店者数を大きく上回っていた。
 伝票を整理し目を瞠ってる私に対して、彼女は微笑んでいるだけだ。
 用意したワインの半分も売れていた。帰りのスーツケースの軽さはそのせいだけではない。気持ちまで軽い。
 自宅に帰り、売れ残ったワインで迎え酒、いや、祝杯をあげた。
「お疲れ様でした」と彼女が言った。
「ありがとう」と私が言う。「お陰で、その、なんていうか、ーー楽しかった」となんとか言った。どうも間抜けなお礼だ。二日酔いのせいじゃない。いや、二日酔いじゃない!
 私の謝辞に、彼女はやはり微笑んでいるだけだった。
 巫女は、幸運の女神であったのかもしれない。

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